ベルゴロド・リャザンスキー
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ベルゴロド・リャザンスキー(ロシア語: Белгород-Рязанский)は、キエフ・ルーシ期の都市である。1208年にウラジーミル大公フセヴォロド(大巣公)がリャザン公国を攻めた際に都市は焼かれ、現存していない。
ベルゴロド・リャザンスキーの初出は『ニコン年代記』の1155年の項であるが、都市の正確な位置は記されていない。1208年の記述では、フセヴォロドは、コロムナからリャザンを通過し、ベルゴロド・リャザンスキーに到達したと記されているのみである[1]。
都市のあった位置については、キシニャ川(ru)流域、オカ川沿岸(デジノヴォ(ru)から2kmの位置)、プロニャ川(ru)沿岸(この場合、Лубянское городищеが都市遺構とみなされる)などの説がある[2]。
出典
[編集]- ^ Р. В. Клянин Материалы Историко-археологических чтений памяти Н. И. Троицкого Тула, 1997.
- ^ Белгород-Рязанский // Большая советская энциклопедия : [в 30 т.] / гл. ред. А. М. Прохоров. — 3-е изд. — М. : Советская энциклопедия, 1969—1978.