ベルナルディーノ・ルイーニ
ベルナルディーノ・ルイーニ Bernardino Luini | |
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Cesare Cantùの著書の肖像画 | |
生誕 |
Bernardino de Scapis 1480年/1482年頃 ルーノ |
死没 |
1532年 ミラノ |
ベルナルディーノ・ルイーニ (Bernardino Luini, 1480年/1482年頃 - 1532年)は、イタリアの画家。レオナルド・ダ・ヴィンチの影響を受けている。ルイーニとジョヴァンニ・アントーニオ・ボルトラッフィオの2人とも、レオナルドと直接仕事したと言われている。『自分の生まれながらの根底が彼を包み込むことができたように、レオナルドから多くをもたらされた。』と記述された[1]。彼の作品の多くが結果としてレオナルドの作品とみられてきた。彼は特に、ウラジーミル・ナボコフが『ルイネスク』(Luinesque)と呼んだ、うっすらと開いた目をした優雅な女性像で知られる[2]。
生涯
[編集]ルイーニは、ベルナルディーノ・デ・スカピス(Bernardino de Scapis)として、マッジョーレ湖近郊のドゥメンツァの分離集落、ルーノで生まれた。彼の生涯の詳細は非常に乏しい。
1500年、彼は父親とともにミラノへ移った。ロマッツォによると、彼はジョヴァン・ステファノ・スコットの元で修行を積んだ。また、アンブロジオ・ベルゴニョーネの弟子であったともいう。1504年から1507年、彼はおそらくトレヴィーゾにいた。誰の作品が論議を呼んでいた『聖母子』にBernardinus Mediolanensis faciebatとの署名がされており、それを証拠とするとである。この時期からエステルゴムのキリスト教美術館にある『聖母子』の一つが描かれ、『死んだキリストの哀悼』(1506年頃、ブダペスト美術館所蔵)が描かれた。彼の最初のフレスコ画は、ルイーノのサン・ピエトロにある『聖マギの崇拝』(1505年頃)、そしてモンツァ聖堂の司祭館にあるフレスコ画『聖ゲラールドと画家たち』である。
1509年、ルイーニはミラノへ戻り、『パドヴァの聖アントニウス』(ポルディ・ペッツォーリ美術館所蔵)の制作依頼を受けた。この絵はベルナルディーノ・ザナーレの『カントゥの多翼祭壇画』に影響を受けている。1510年代、彼はピラストレッロのサンタ・マリア・ヌオヴァ礼拝堂内のフレスコ画、サンタ・マリア・デッラ・パッショーネ内の『死んだキリストの哀悼』、キアラヴァッレ修道院の『聖母子』、サン・ジョルジョ・ディ・パラッツォ教会のフレスコ画(1516年)、パヴィーア修道院内フレスコ画など多くを手がけた。
1509年から1514年、ルイーニの最高作として知られるものの一つ、セスト・サン・ジョヴァンニにあるヴィッラ・ペルッカのフレスコ画を手がけた(現在ブレラ美術館蔵)。これはジローラモ・ラビアに命じられた仕事である(パラッツォ・ラビア内に、神話を主題とした絵画を制作した(現在はベルリン美術館とナショナルギャラリーにある)。
1521年、彼はローマへ旅行し、そこでラファエロ・サンティの影響を受けた。これは1520年から1523年に実行されたヴィッラ・ラ・ペルッカのフレスコ画に影響をみてとれる。現在ブレラ美術館にある他の作品も同様である。1523年から、レニャーノのサン・マニョ聖堂の美しい多翼祭壇画を製作した。
1525年前後に、彼は聖母マリアとキリストの生涯を描いたフレスコ画を、サロンノにあるサンタ・マリア・デイ・ミラーコリの内陣に完成させた。同じ年、コモのサンタッボンディオ教会のファサードにフレスコ画を描いたのも彼である。他の彼の中期の作品には、『聖家族』(プラド美術館蔵)、2つある『サロメ』(ボストン美術館蔵と、ウフィツィ美術館蔵)、『貴婦人の肖像』(ナショナル・ギャラリー蔵)である。1526年から、『聖母子と聖人たち』(リー・フェアハム・コレクション蔵)が制作された。
1529年、ルイーニは自らの傑作の一つ、巨大な『情熱と磔刑』(ルガーノにあるサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会のフレスコ画)を完成させた。同じ教会内で、他の作品と対にされている。1531年、彼はサロンノの内陣製作へ戻っていき、他のフレスコ画を加えた。彼は晩年、レオナルドによる影響をさらに強めた。『聖アンナ』(アンブロジアーナ絵画館蔵)、『聖カタリナ』(エルミタージュ美術館蔵)にそれが見られる。
ルイーニはミラノで死んだ。息子のアウレリオは画家となった。
主な作品
[編集]- 『聖母マリア、聖アウグスティヌス、聖マルガレタ』、ジャックマル=アンドレ美術館、パリ。"Bernardino Milasnese"との署名と1507年の日付あり
- 『聖母子と聖ヨハネ』 (1510年頃)、ナショナル・ギャラリー(ロンドン)[1]。同じ主題の絵がボストンのフォッグ美術館にもある。
- 『バラ園の聖母』(1510-1511年)、ブレラ美術館
- 『王座に就いた聖母』 (1512年頃)、キアラヴァッレ修道院
- 『聖母子』 (1510-1520年)、カポディモンテ美術館
- 『博士たちに囲まれたキリスト』 (1515年-1530年)、ナショナル・ギャラリー(ロンドン)[2]
- サン・ジュゼッペ礼拝堂のフレスコ画(1518年-1520年) 分離され、現在はブレラ美術館蔵
- 『聖カタリナ』、ナショナル・ギャラリー(ロンドン)(同じ主題の絵がエルミタージュ美術館にある)。[3]
- 『サロメ』、ボール州立大学美術館、アメリカ合衆国インディアナ州
- ラビア家の邸宅のため製作したフレスコ画群(1520年-1525年)、現在ブレラ美術館、ベルリン美術館、ナショナル・ギャラリー (ワシントン)に分散展示。[4])
- 『聖ヨハネとともにいる聖母子』、リヒテンシュタイン美術館、ウィーン[5]
- キリストの生涯と聖母マリアの生涯を描いたフレスコ画群(1525年)、サンタ・マリア・デイ・ミラーコリ、サロンノ
- 『貴婦人の肖像』 (1525年) ナショナル・ギャラリー(ワシントン)
- 『聖マギの崇拝』(1520年-1525年)、フレスコ画から切り離され、現在ルーヴル美術館蔵 [6]
- 『洗礼者ヨハネの首を持つサロメ』 (1527年ごろ)、ウフィツィ美術館
- 『聖家族』 (1530年以前)、プラド美術館蔵
- 『聖家族と聖アンナ、洗礼者ヨハネ』 (1530年ごろ)、アンブロジアーナ絵画館蔵
参照
[編集]- Freedberg, Sydney J. (1993). Pelican History of Art. ed. Painting in Italy, 1500-1600. Penguin Books. pp. pp. 390-391
- Lavin, Irving (1954). Journal of the Warburg and Courtauld Institutes. ed. Cephalus and Procris: Transformations of an Ovidian Myth. XVII. pp. pp. 260-87, 366-72