ベレーナ・ベンテレ
ベレーナ・ベンテレ(2014年5月19日) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
個人情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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フルネーム | Verena Bentele | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | ドイツ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生誕 | 1982年2月28日(42歳) 西ドイツ、バイエルン州リンダウ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
家族 | 兄弟2人 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
スポーツ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国 | ドイツ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
競技 | バイアスロン、クロスカントリースキー | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
引退 | 2011年11月 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ベレーナ・ベンテレ(Verena Bentele, 1982年2月28日-)は、ドイツの元パラノルディックスキー(バイアスロン、クロスカントリースキー)選手(視覚障害、B1クラス)。2018年5月からはドイツの社会政治擁護団体(Sozialverband VdK)の理事長を務めている[1]。
人物
[編集]バイエルン州リンダウに生まれ、バーデン=ヴュルテンベルク州ボーデンゼー郡のテトナングで育つ[1]。兄のマイケルと共に先天盲である[2] 。
盲学校在学中にノルディックスキーを始める。なお、兄のマイケルはトリノパラリンピック、ソルトレークシティパラリンピックに参加している[3]。
ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘンにおいて現代ドイツ文学を専攻し(副専攻として言語学と教育学)、2011年に修士号を取得した[4]。
2011年11月に選手からの引退を発表した[5]。引退後はコーチとしてのトレーニングを受けた。
2013年にはキリマンジャロに登頂した。その際、近隣のメルー山に視覚障害者として初めて登頂した[6]。
競技成績
[編集]1998年に16歳で長野パラリンピックに出場すると、バイアスロンで金メダル、クロスカントリースキーで銀メダル2つと銅メダル1つを獲得した。その後、2002年のソルトレークシティパラリンピックでは金メダル4つを、2006年のトリノパラリンピックでは金メダル2つと銅メダル1つを獲得した[7]。
2009年のドイツ選手権では、ガイドの間違った指示によって溝に落ちる事故に遭い、膝・指・肝臓・腎臓を負傷する大怪我を負った[5]。しかし、わずか1年後の2010年に行われたバンクーバーパラリンピックでは、5種目で金メダルを獲得する活躍を見せた。
政治・社会活動
[編集]2010年6月には、バーデン=ヴュルテンベルク州の社会民主党(SPD)からの推薦で連邦大統領を決める第14回連邦会議の選挙人となった。2012年3月に行われた第15回連邦会議、2017年2月に行われた第16回連邦会議にも同党からの推薦で選挙人として参加した。2012年にはSPDに参加した。
2014年1月には第3次メルケル内閣のアンドレア・ナーレス労働・社会大臣により障害者問題に関する連邦政府委員に任命され[8]、2018年まで務めた[9]。
2014年3月にはミュンヘン市議会議員選挙にSPDから立候補して当選したが[10]、先の連邦政府委員の負担を理由に辞任した[11]。
2017年からドイツ体育大学ケルンの大学評議会のメンバーである[12]。
2007年から社会政治擁護団体(Sozialverband VdK)のメンバーであり、2015年からバイエルンの地域委員会のメンバーを務めた。2018年5月にはウルリケ・マッシャーの後任として理事長に就任した[1]。
受賞等
[編集]- ジルバーネス・ロールベアブラット(2010年)
- バンビスポーツ部門(2010年)
- ミュンヘン市の金の名誉リング(Goldener Ehrenring der Stadt München)(2010年)
- テトナング市名誉市民(2010年)
- バーデン・ヴュルテンベルク州のメリット勲章(2010年)
- ローレウス世界スポーツ賞年間最優秀障害者選手賞(2011年2月)[13]
- 国際パラリンピック委員会の年間最優秀女性アスリート(2011年12月)[5]
- パラリンピック殿堂入り(2014年)
- ベンデレが出演した「驚異の映像図鑑~触覚~」(制作:南西ドイツ放送)は、2007年に日本賞の青少年番組部門の優秀賞を受賞している[14]。
脚注
[編集]- ^ a b c “Verena Bentele ist die neue VdK-Präsidentin”. Sozialverband VdK Deutschland e.V. (2018年5月16日). 2022年2月1日閲覧。
- ^ “Verena Bentele: „Immer nach vorne schauen“”. Abendzeitung München. (2010年3月10日) 2022年2月1日閲覧。
- ^ “Michael Bentele”. 国際パラリンピック委員会. 2022年2月1日閲覧。
- ^ “Hintergrund”. Verena Bentele. 2022年2月1日閲覧。
- ^ a b c “Verena Bentele Named Best Female Athlete by IPC”. 国際パラリンピック委員会 (2011年12月12日). 2022年2月1日閲覧。
- ^ Paralympics-Star Bentele besteigt den Kilimandscharo - ウェイバックマシン(2013年3月14日アーカイブ分)
- ^ “Verena Bentele”. 国際パラリンピック委員会. 2022年2月1日閲覧。
- ^ “Verena Bentele ist neue Behindertenbeauftragte”. ドイツ連邦政府 (2014年1月15日). 2022年2月1日閲覧。
- ^ “Wechsel beim Bund: Jürgen Dusel wird neuer Behinderten-Beauftragter”. Tagesspiegel (2018年4月27日). 2022年2月1日閲覧。
- ^ “Das sind die Häufelkönige im neuen Stadtrat”. Abendzeitung München. (2014年3月19日) 2022年2月1日閲覧。
- ^ “Bentele verlässt Münchner Stadtrat - Ein Job zu viel - München”. SZ.de(南ドイツ新聞). (2015年2月10日) 2022年2月1日閲覧。
- ^ “University Council - German Sport University Cologne”. ドイツ体育大学ケルン. 2022年2月1日閲覧。
- ^ “Verena Bentele”. Laureus. 2022年2月1日閲覧。
- ^ “第34回「日本賞」<2007年>優秀番組 - JAPAN PRIZE International Contest For Educational Media -日本賞-”. 2022年2月1日閲覧。
外部リンク
[編集]- Verena Bentele - Verena Bentele(公式サイト)
- Verena Bentele | International Paralympic Committee(国際パラリンピック委員会(IPC)による紹介)
- Vita Verena Bentele | Sozialverband VdK Bayern e.V.(ブレーメン社会政治擁護団体(Sozialverband VdK)による紹介)
- VISA Paralympic Hall of Fame 2014 - YouTube