コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ベンジャミン・バサースト (1711年生の政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ベンジャミン・バサースト閣下(英語: Hon. Benjamin Bathurst1711年8月12日1767年1月23日)は、グレートブリテン王国の政治家。トーリー党に所属し、1734年から1741年までと1754年から1761年までの2度にわたって庶民院議員を務めた[1]

生涯

[編集]

初代バサースト男爵アレン・バサーストと妻キャサリン(Catherine、旧姓アプスリー(Apsley)、1688年7月6日洗礼 – 1768年6月8日、サー・ピーター・アプスリーの娘)の長男として[2]、1711年8月12日に生まれた[1]。1725年7月1日にオックスフォード大学ベリオール・カレッジに入学、1728年5月18日にM.A.の学位を、1733年7月11日にD.C.L.英語版の学位を修得した[3]。1728年11月28日にエンサイン英語版(歩兵少尉)としてコールドストリーム近衛歩兵連隊に入隊、1731年3月に軍務から辞任した[4]

1734年イギリス総選挙トーリー党候補としてグロスタシャー選挙区英語版から出馬、3266票を得て得票数2位で当選した[5]。議会では常に野党に同調して投票したが、1741年2月の首相ロバート・ウォルポール不信任決議案では投票しなかった[1]1741年イギリス総選挙で出馬せず、議員を退任した[1]

1754年イギリス総選挙に先立つ1753年8月、サイレンセスター選挙区英語版から出馬することを表明した[1]。この立候補は父の支持を得ておらず、父はバサーストの弟ヘンリー・バサースト閣下を支持した[1]。サイレンセスター選挙区で影響力を有するバサースト家とマスター家はともにトーリー党の家系だったが、1753年時点ではマスター家家長が8歳であり、マスター家の支持者はバサースト家が機に乗じて2議席を独占しようとしていると批判した[6]。そのため、サイレンセスター選挙区でのトーリー党勢力が分裂してしまい、ホイッグ党所属のジョン・ドーネイ閣下はベンジャミン・バサーストと手を組んでヘンリー・バサーストやそれ以外の候補者を立候補辞退に追い込み、無投票で当選することに成功した[1][6]

2度目の議員期でもトーリー党の一員として行動、1761年イギリス総選挙をもって議員を退任した[7]

1763年5月7日よりOut-Ranger of Windsor Forestを務め[8]、1765年7月に首相第2代ロッキンガム侯爵チャールズ・ワトソン=ウェントワースにより解任されると、代償として年金500ポンドを受け取った[7]

1767年1月23日、父に先立って死去した[2]

家族

[編集]

1732年11月26日、エリザベス・ブルース(Elizabeth Bruce、1796年11月5日没、第3代エイルズベリー伯爵チャールズ・ブルースの娘)と結婚したが、2人の間に子供はいなかった[2]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g Newman, A. N. (1970). "BATHURST, Hon. Benjamin (1711-67), of Siddington, nr. Cirencester, Glos.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年2月22日閲覧
  2. ^ a b c Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 28–29.
  3. ^ Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (英語). Vol. 1. Oxford: University of Oxford. p. 75.
  4. ^ Mackinnon, Daniel (1833). Origin and Services of the Coldstream Guards (英語). Vol. II. London: Richard Bentley. pp. 478–479.
  5. ^ Matthews, Shirley (1970). "Gloucestershire". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年2月22日閲覧
  6. ^ a b Cannon, J. A. (1964). "Cirencester". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年2月22日閲覧
  7. ^ a b Newman, A. N. (1964). "BATHURST, Hon. Benjamin (1711-67), of Siddington, nr. Cirencester, Glos.". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年2月22日閲覧
  8. ^ "No. 10310". The London Gazette (英語). 3 May 1763. p. 3.
グレートブリテン議会英語版
先代
ヘンリー・バークリー閣下英語版
サー・ジョン・ダットン準男爵英語版
庶民院議員(グロスタシャー選挙区英語版選出)
1734年1741年
同職:トマス・チェスター英語版
次代
トマス・チェスター英語版
ノーボーン・バークリー英語版
先代
ジョン・コックス英語版
ヘンリー・バサースト閣下
庶民院議員(サイレンセスター選挙区英語版選出)
1754年1761年
同職:ダウン子爵
次代
ジェームズ・ウィットシェッド英語版
ダウン子爵
名誉職
先代
チャールズ・スペンサー卿英語版
Out-Ranger of Windsor Forest
1763年 – 1765年
次代
ジョージ・オンズロー英語版