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ジョン・ドーネイ (第4代ダウン子爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョン・ドーネイ
John Dawnay
生年月日 1728年4月9日
没年月日 (1780-12-21) 1780年12月21日(52歳没)
出身校 オックスフォード大学クライスト・チャーチ
所属政党 (ホイッグ党→)
無所属
配偶者 ローラ・バートン
子女 長男・ジョン・ドーネイ
三男・ウィリアム・ドーネイ
親族 曽祖父・ジョン・ドーネイ(庶民院議員)
祖父・ヘンリー・ドーネイ(庶民院議員)
父・ジョン・ドーネイ(庶民院議員)
兄・ヘンリー・ドーネイ(庶民院議員)
孫・ウィリアム・ドーネイ(庶民院議員)

選挙区 (サイレンセスター選挙区→)
マルトン選挙区
当選回数 3回
在任期間 1754年 - 1774年
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第4代ダウン子爵ジョン・ドーネイ英語: John Dawnay, 4th Viscount Downe1728年4月9日1780年12月21日)は、グレートブリテン王国の政治家、アイルランド貴族ホイッグ党に所属し、1754年から1774年まで庶民院議員を務めた[1]

生涯

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ジョン・ドーネイ閣下(1740年8月12日没、第2代ダウン子爵ヘンリー・ドーネイの息子)と妻シャーロット・ルイーザ(Charlotte Louisa、旧姓プレイデル(Pleydell)、ロバート・プレイデルの娘)の息子として、1728年4月9日に生まれた[1]。1742年よりイートン・カレッジで教育を受けた後[2]、1745年3月22日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学した[3]

1754年イギリス総選挙サイレンセスター選挙区英語版から出馬した[4]。サイレンセスターの有力者である初代バサースト男爵アレン・バサーストトマス・マスター英語版はいずれもトーリー党所属だったが、マスターが1749年に死去し、その長男が1754年時点でわずか10歳だったため、1754年の総選挙ではバサースト男爵の息子2名が立候補した[4]。これに対し、バサースト男爵がマスター家を差し置いて選挙区の完全支配を目論んでいるという非難の声が上がると、ドーネイはその隙を突いて立候補、ホイッグ党所属ながら当選を果たした[4]1761年イギリス総選挙でも511票でトップ当選したが、1765年にアンプニー・クルーシス英語版の地所(アンプニー・パーク英語版)をサミュエル・ブラックウェル英語版に売却したため、サイレンセスターでの影響力もブラックウェルに移った[2][4]

1760年12月26日に兄ヘンリー・プレイデルが死去すると[5]ダウン子爵位を継承した[1]

議会では1762年に七年戦争の予備講和条約を支持するなど最初はトーリー党の傾向があったが、1765年から1766年の議員リストではトーリー党とホイッグ党に分類するものが存在し、1767年春までには確固としたロッキンガム侯爵派(ホイッグ党)の一員となった[2]。1767年12月にロッキンガム侯爵が次の総選挙で当選させることを打診し、一旦は断ったが[2]、結局1768年イギリス総選挙でロッキンガム侯爵の後援を受けてモルトン選挙区英語版から出馬、無投票で当選した[6]。1767年ごろより健康が悪化し、1770年春と同年10月の2度にわたって議員辞任をロッキンガム侯爵に申し出た[2]。結果的には辞任しなかったが、1774年イギリス総選挙では出馬せず、議員を退任した[2]

1780年12月21日に死去、1781年1月7日にスナス英語版で埋葬された[1]。息子ジョン・クリストファー・バートンが爵位を継承した[1]

家族

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ヨーク・ミンスターにある、ダウン子爵夫人ローラの記念碑。2013年撮影。

1763年5月20日、ローラ・バートン(Lora Burton、1740年2月 – 1812年4月25日、ウィリアム・バートンの娘)と結婚[1]、5男2女をもうけた[7]

出典

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  1. ^ a b c d e f Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 452–453.
  2. ^ a b c d e f Brooke, John (1964). "DAWNAY, Hon. John (1728-80), of Cowick Hall, Yorks.". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月20日閲覧
  3. ^ a b Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (A to D) (英語). Vol. 1. Oxford: University of Oxford. p. 354.
  4. ^ a b c d Cannon, J. A. (1964). "Cirencester". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月20日閲覧
  5. ^ Sedgwick, Romney R. (1970). "DAWNAY, Henry Pleydell, 3rd Visct. Downe [I] (1727-60), of Cowick Hall, Yorks.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月19日閲覧
  6. ^ Brooke, John (1964). "Malton". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年1月20日閲覧
  7. ^ "Downe, Viscount (I, 1681)". Cracroft's Peerage (英語). 28 March 2011. 2021年1月20日閲覧
  8. ^ a b c d e Austen-Leigh, Richard Arthur (1921). The Eton College Register, 1753-1790 (英語). Eton: Spottiswoode, Ballantyne & Co. pp. 150–151.
  9. ^ "Dawnay (post Langeley), the Hon. Marmaduke. (DWNY795M)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
グレートブリテン議会英語版
先代
ジョン・コックス英語版
ヘンリー・バサースト閣下
庶民院議員(サイレンセスター選挙区英語版選出)
1754年1768年
同職:ベンジャミン・バサースト閣下 1754年 – 1761年
ジェームズ・ウィットシェッド英語版 1761年 – 1768年
次代
ジェームズ・ウィットシェッド英語版
エストコート・クレスウェル
先代
サヴィル・フィンチ英語版
ジョン・モスティン英語版
庶民院議員(モルトン選挙区英語版選出)
1768年1774年
同職:サヴィル・フィンチ英語版
次代
サヴィル・フィンチ英語版
エドマンド・バーク
アイルランドの爵位
先代
ヘンリー・プレイデル・ドーネイ
ダウン子爵
1760年 – 1780年
次代
ジョン・クリストファー・バートン・ドーネイ