ウィリアム・ドーネイ (第6代ダウン子爵)
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第6代ダウン子爵ウィリアム・ヘンリー・ドーネイ(英語: William Henry Dawnay, 6th Viscount Downe、1772年8月20日 – 1846年5月23日)は、アイルランド貴族。セザー、ソーマンビー、アッシュウェルの教区牧師を歴任した[1]。
生涯
[編集]第4代ダウン子爵ジョン・ドーネイと妻ローラ(Lora、旧姓バートン(Burton)、1740年2月 – 1812年4月25日、ウィリアム・バートンの娘)の息子として、1772年8月20日に生まれ、レザーヘッドで洗礼を受けた[1]。1777年から1789年までイートン・カレッジで教育を受けた後[2]、1790年4月29日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1795年にB.A.の学位を、1796年にM.A.の学位を修得した[3]。
1798年にセザーとソーマンビー(いずれも現ノース・ヨークシャーの町)の教区牧師になり、1803年にラトランドにあるアッシュウェルの教区牧師に転じた[1]。
1827年にマーガレット・アール(Margaret Earle、ジャイルズ・アールの妻)が死去すると、ベニングブラ・ホールを継承した[4]。
1832年2月18日に兄ジョン・クリストファー・バートンが死去すると、ダウン子爵位を継承した[1]。
1846年5月23日にベニングブラ・ホールで死去、同名の息子ウィリアム・ヘンリーが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1811年6月6日、リディア・ヒースコート(Lydia Heathcote、1773年 – 1848年3月18日、ジョン・ヒースコートの娘)と結婚[1]、2男1女をもうけた[5]。
- ウィリアム・ヘンリー(1812年5月15日 – 1857年1月26日) - 第7代ダウン子爵
- リディア・フランシス・キャサリン(Lydia Frances Catherine、1814年ごろ – 1890年1月22日)
- パヤン(Payan、1815年11月18日 – 1891年6月17日) - 1829年にイートン・カレッジに在学[6]。1834年5月15日、オックスフォード大学クライスト・チャーチに入学した[3]。1851年、ヨークシャー州長官を務めた[6]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 453–454.
- ^ Austen-Leigh, Richard Arthur (1921). The Eton College Register, 1753-1790 (英語). Eton: Spottiswoode, Ballantyne & Co. p. 151.
- ^ a b Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (A to D) (英語). Vol. 1. Oxford: University of Oxford. p. 354.
- ^ Country Life (英語). Vol. 20. London. 1906. p. 349.
- ^ "Downe, Viscount (I, 1681)". Cracroft's Peerage (英語). 28 March 2011. 2021年1月20日閲覧。
- ^ a b Chetwynd-Stapylton, Henry Edward (1884). The Eton School Lists from 1791 to 1877, with Notes and Index (英語). Eton: R. Ingalton Drake. p. 143.
アイルランドの爵位 | ||
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