ウィリアム・ドーネイ (第7代ダウン子爵)
第7代ダウン子爵ウィリアム・ヘンリー・ドーネイ(英語: William Henry Dawnay, 7th Viscount Downe、1812年5月15日 – 1857年1月26日)は、イギリスの政治家、アイルランド貴族。保守党に所属し、1841年から1846年まで庶民院議員を務めた[1]。
生涯
[編集]第6代ダウン子爵ウィリアム・ヘンリー・ドーネイと妻リディア(Lydia、旧姓ヒースコート(Heathcote)、1773年 – 1848年3月18日、ジョン・ヒースコートの娘)の息子として、1812年5月15日にメイフェアのチャールズ・ストリートで生まれ、セント・ジョージ・ハノーヴァー・スクエアで洗礼を受けた[1]。1824年ごろから1828年ごろまでイートン・カレッジで教育を受けた後[1]、1830年3月31日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1833年にB.A.の学位を、1837年にM.A.の学位を修得した[2]。
1834年から1854年までヨークシャー・フザールの士官を務めた[1]。
1841年イギリス総選挙で保守党候補としてラトランド選挙区から出馬、676票(得票数2位)を得て当選した[3]。1846年初に議員を辞任し、同年2月の補欠選挙では同じく保守党所属のジョージ・フィンチが無投票で当選した[3]。同年5月23日に父が死去すると、ダウン子爵位を継承した[1]。
1857年1月26日にトーキーで死去した[1]。最初はトップクリフの聖コロンバ教会(The Church of St Columba)に埋葬されたが、1857年9月に自身が建設を命じたバルダースビーの聖ジェームズ教会が完成するとそこへ移された[4]。息子ヒュー・リチャードが爵位を継承した[1]。
家族と私生活
[編集]1843年7月25日、メアリー・イザベル・バゴット(Mary Isabel Bagot)、1825年4月28日 – 1900年4月14日、聖職者リチャード・バゴットの娘)と結婚[1]、8男2女をもうけた[5]。リチャード・バゴットは教会をいくつか建てることを娘との結婚の条件とした[1]。教会の数については3つ[1]と7つ[4]とする文献がある。
- ヒュー・リチャード(1844年7月20日 – 1924年1月21日) - 第8代ダウン子爵、初代ドーネイ男爵
- ルイス・ペイン(1846年4月1日 – 1910年7月20日) - 庶民院議員。1877年6月6日、ヴィクトリア・アレクサンドリナ・エリザベス・グレイ(Victoria Alexandrina Elizabeth Grey、1922年6月15日没、チャールズ・グレイ閣下の娘)と結婚、子供あり
- アラン・チャールズ(1847年6月15日 – 1853年3月3日)
- ガイ・カスバート(1848年7月26日 – 1889年2月22日) - 庶民院議員
- ユースタス・ヘンリー(Eustace Henry、1850年4月15日 – 1928年12月15日) - イーヴリン・ド・ヴィアー・カペル(Evelyn de Vere Capell、モルデン子爵アーサー・ド・ヴィアー・カペルの娘)と結婚、子供あり
- ウィリアム・フレデリック(1851年10月14日 – 1904年9月29日) - 1875年4月22日、アデレード・ヘレン・パーカー(Adelaide Helen Parker、1941年7月14日没、第6代マクルズフィールド伯爵トマス・パーカーの娘)と結婚、子供あり
- ジェフリー・ニコラス(Geoffrey Nicolas、1852年12月13日 – 1941年12月31日) - 1887年8月19日、エミリー・ジャニー・バルティール(Emily Janie Bulteel、1935年12月8日、ジョン・バルティールの娘)と結婚、子供あり
- フランシス・ハーバート(1853年12月11日 – 1914年6月26日)
- アリス・イザベル(1929年10月没)
- イーディス・メアリー(Edith Mary、1941年7月15日没) - 1884年2月2日、ロバート・グラント=サッティー(Robert Grant-Suttie、1841年12月18日 – 1933年9月15日、第5代準男爵サー・ジョージ・グラント=サッティー準男爵の息子)と結婚、子供あり
ダウン子爵としてラトランドとヨークシャーにおける領地の開発に力を入れ、また妻の父との約束通り、友人の建築家ウィリアム・バターフィールドを招聘して教会を建てた[4]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 454.
- ^ Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (A to D) (英語). Vol. 1. Oxford: University of Oxford. p. 354.
- ^ a b Craig, F. W. S. (1977). British parliamentary election results 1832–1885 (英語). London: The Macmillan Press. p. 444. ISBN 978-1-349-02349-3。
- ^ a b c "Our Church". Church of St James, Baldersby (英語). 2021年1月20日閲覧。
- ^ "Downe, Viscount (I, 1681)". Cracroft's Peerage (英語). 28 March 2011. 2021年1月20日閲覧。
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Hon. William Dawnay
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
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先代 サー・ギルバート・ヒースコート準男爵 チャールズ・ジョージ・ノエル閣下 |
庶民院議員(ラトランド選挙区選出) 1841年 – 1846年 同職:ギルバート・ジョン・ヒースコート |
次代 ギルバート・ジョン・ヒースコート ジョージ・サマセット・フィンチ |
アイルランドの爵位 | ||
先代 ウィリアム・ヘンリー・ドーネイ |
ダウン子爵 1846年 – 1857年 |
次代 ヒュー・リチャード・ドーネイ |