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トマス・パーカー (第6代マクルズフィールド伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第6代マクルズフィールド伯爵、1864年撮影。

第6代マクルズフィールド伯爵トマス・オーガスタス・ウォルステンホルム・パーカーThomas Augustus Wolstenholme Parker, 6th Earl of Macclesfield1811年3月17日1896年7月24日)は、イギリス貴族、政治家。保守党に属し、庶民院議員を務めた[1]

1842年から1850年までパーカー子爵儀礼称号を使用した[1]

生涯

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バニティ・フェア』誌1881年10月22日号に掲載されたカリカチュアレスリー・ウォード画。

第5代マクルズフィールド伯爵トマス・パーカーと2人目の妻イライザ(Eliza、1781年ごろ – 1862年1月1日、ウィリアム・ブレトン=ウォルステンホルムの娘)の息子として、1811年3月17日にメリルボーンで生まれた[1]イートン・カレッジで教育を受けた後[1]、1829年6月24日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学した[2]

1837年イギリス総選挙保守党候補としてオックスフォードシャー選挙区英語版(3人区)から出馬、2,767票(得票数3位)を得て当選した[3]1841年イギリス総選挙をもって議員を退任した[3]

1896年7月24日にベルグレイヴィアイートン・スクエア英語版94号で死去、オックスフォードシャーシャーバーン英語版で埋葬された[1]。長男ジョージ・オーガスタスに先立たれたため、孫ジョージ・ラヴデン・ウィリアム・ヘンリーが爵位を継承した[1]

家族

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1839年7月11日、ヘンリエッタ・ターナー(Henrietta Turnor、1839年11月19日没、エドマンド・ターナーの娘)と結婚したが、ヘンリエッタは結婚から4か月後に死去した[1]

1842年8月25日、メアリー・フランシス・グローヴナー(Mary Frances Grosvenor、1821年12月2日 – 1912年1月2日、第2代ウェストミンスター侯爵リチャード・グローヴナー英語版の娘)と再婚[1]、11男4女をもうけた[4]

  • ジョージ・オーガスタス(1843年10月19日 – 1895年9月25日) - 1878年3月14日、イーディス・リチャードソン(Edith Richardson、1885年4月4日没、トマス・ラムボルド・リチャードソンの未亡人、フレデリック・ポール・ハーフォードの娘)と結婚。1887年1月26日、キャロライン・アグネス・プリース(Caroline Agnes Pryse、1919年1月7日没、初代準男爵サー・プリース・プリースの娘)と再婚、第7代マクルズフィールド伯爵ジョージ・パーカーをもうけた[1]
  • セシル・トマス(1845年3月27日 – 1931年1月12日) - 1870年5月24日、ロザモンド・エスター・ハリエット・ロングリー(Rosamond Esther Harriet Longley、1936年4月4日没、カンタベリー大主教チャールズ・ロングリー英語版の娘)と結婚、子供あり[5]
  • エリザベス・アメリア(1846年9月19日[4] – 1916年1月26日) - 生涯未婚[6]
  • アデレード・ヘレン(1848年5月7日[4] – 1941年7月14日) - 1875年4月22日、ウィリアム・フレデリック・ドーネイ閣下(Hon. William Frederick Dawnay、1851年10月14日 – 1904年9月29日、第7代ダウン子爵ウィリアム・ドーネイの息子)と結婚、子供あり[7]
  • アルジャーノン・ロバート(1849年11月17日 – 1940年5月20日) - 聖職者。1877年4月26日、エマ・ジェーン・ケニオン(Emma Jane Kenyon、1933年5月17日没、エドワード・ケニオン閣下の娘)と結婚、子供あり[5]
  • フランシス英語版(1851年8月15日 – 1931年10月22日) - 庶民院議員。1882年2月16日、ヘンリエッタ・ガスケル(Henrietta Gaskell、1940年9月5日没、ヘンリー・ロマックス・ガスケルの娘)と結婚、子供あり[5]
  • シドニー英語版(1852年10月3日 – 1897年5月21日[6]
  • レジナルド(1854年7月14日 – 1942年3月23日) - 1876年10月17日、キャサリン・メアリー・アムズ(Katharine Mary Ames、1939年11月20日没、ヘンリー・メトカルフ・アムズの娘)と結婚、子供あり[5]
  • ヒュー・ルーパス(Hugh Lupus、1855年10月2日 – 1859年3月11日[6]
  • エドマンド・ウィリアム(1857年3月2日 – 1943年3月27日) - 1883年7月11日、ファニー・エマ・ボールドウィン(Fanny Emma Baldwin、1942年4月18日没、ウィリアム・ボールドウィンの娘)と結婚、子供あり[5]
  • アーチボルド(1859年4月4日 – 1931年1月9日) - 聖職者。1890年1月8日、モード・フランシス・ベートマン=ハンベリー(Maud Frances Bateman-Hanbury、1932年2月23日没、第2代ベートマン男爵ウィリアム・ベートマン=ハンベリー英語版の娘)と結婚、子供あり[6]
  • ヘンリー(1860年12月14日 – 1952年6月26日) - 1916年10月11日、ヘンリエッタ・ジュディス・ベイカー(Henrietta Judith Baker、1946年10月8日没、ロバート・ローブリッジ・ベイカーの娘)と結婚、子供あり[5]
  • メアリー・アリス(1863年1月28日[4] – 1930年1月11日) - 1896年7月21日、チャールズ・フェイン・ド・サリス(Charles Fane de Salis)と結婚、子供あり[6]
  • アレグザンダー・エドワード(1864年7月1日 – 1958年9月2日) - 1896年12月30日、ウィニフレッド・フローレンス・ワージントン(Winifred Florence Worthington、1958年9月30日没、アルバート・オクタヴィアス・ワージントンの娘)と結婚、子供あり[5]
  • エヴリン・フローレンス(1867年11月3日[4] – 1957年3月16日) - 生涯未婚[5]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1932). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Lindley to Moate) (英語). Vol. 8 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 336.
  2. ^ Foster, Joseph (1888–1892). "Parker, Thomas Augustus Wolstenholme" . Alumni Oxonienses: the Members of the University of Oxford, 1715–1886 (英語). Vol. 3. Oxford: Parker and Co. p. 1069. ウィキソースより。
  3. ^ a b Craig, F. W. S. (1989) [1977]. British parliamentary election results 1832–1885 (英語) (2nd ed.). Chichester: Parliamentary Research Services. p. 442. ISBN 0-900178-26-4
  4. ^ a b c d e Lodge, Edmund, ed. (1902). The Peerage and Baronetage of the British Empire as at Present Existing (英語) (71st ed.). London: Hurst and Blackett. pp. 469–470.
  5. ^ a b c d e f g h Mosley, Charles, ed. (2003). Burke’s Peerage, Baronetage & Knightage Clan Chiefs Scottish Feudal Barons (英語). Vol. 2 (107th ed.). London: Burke's Peerage Limited. pp. 2457–2459. ISBN 978-0-97119662-9
  6. ^ a b c d e Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth Peter, eds. (1934). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語). Vol. 2 (92nd ed.). London: Burke's Peerage, Ltd. pp. 1564–1565.
  7. ^ Mosley, Charles, ed. (2003). Burke’s Peerage, Baronetage & Knightage Clan Chiefs Scottish Feudal Barons (英語). Vol. 1 (107th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 1174. ISBN 978-0-97119662-9

外部リンク

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グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
先代
ノリス卿英語版
ジョージ・グランヴィル・ハーコート英語版
リチャード・ウェイランド英語版
庶民院議員(オックスフォードシャー選挙区英語版選出)
1837年1841年
同職:ノリス卿英語版
ジョージ・グランヴィル・ハーコート英語版
次代
ノリス卿英語版
ジョージ・グランヴィル・ハーコート英語版
J・W・ヘンリー英語版
グレートブリテンの爵位
先代
トマス・パーカー
マクルズフィールド伯爵
1850年 – 1896年
次代
ジョージ・パーカー