ベンジャミン・モラン

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ベンジャミン・モラン: Benjamin Moran1820年 - 1886年6月20日)は、アメリカ合衆国外交官

生涯[編集]

ペンシルベニア州ランカスター郡において誕生した。父親はニュージャージー州トレントンの小さな綿工場を経営していた。モランはフィラデルフィアで印刷工となった。1850年、モランはヨーロッパへ渡り、イングランド各地を徒歩で巡った[1]

1854年、モランは駐イギリス公使ジェームズ・ブキャナンの個人秘書となった。モランは1855年に公使館で書記官に任ぜられ、1874年まで書記官を務めた。1874年6月、モランはユリシーズ・グラント大統領によってアメリカ合衆国第三国務次官補に任命されたが、上院に承認を拒否されたため、着任できなかった[2]1874年12月、モランは駐ポルトガルの弁理公使となり、1876年11月に代理公使となった。モランは1882年まで代理公使を務めた[3]

モランはロンドンの合衆国公使館にある公文書を熟知し、またアメリカの外交史に精通していたことから、イギリス政界において高い評判を獲得した。モランは定期刊行物にしばしば寄稿した[1]

1886年6月20日、モランはイギリスのロンドンで死去した。モランの遺体はエセックス州パンフィールドの小村に埋葬された[4]

参考文献[編集]

  1. ^ a b Virtual American Biographies
  2. ^ U.S. Department of State - Assistant Secretary of State
  3. ^ U.S. Department of State - Chiefs of Mission: Portugal
  4. ^ The Washington Post - 26 Jun 1886
公職
先代
サミュエル・シェラバージャー
在ポルトガルアメリカ合衆国弁理公使
1875年4月8日 - 1876年11月9日
次代
-
先代
-
在ポルトガルアメリカ合衆国代理公使
1876年11月15日 - 1882年9月27日
次代
ジョン・フランシス