ペッカ・ハロネン
ペッカ・ハロネン Pekka Halonen | |
---|---|
自画像 (1906年) | |
生誕 |
1865年9月23日 フィンランド,Lapinlahti |
死没 |
1933年12月1日 フィンランド,Tuusula |
運動・動向 | 写実主義 |
ペッカ・ハロネン(Pekka Halonen、1865年9月23日 - 1933年12月1日)はフィンランドの画家である。写実主義のスタイルでフィンランドの風景や働く人々を描いた[1][2]。
略歴
[編集]北サヴォ県ラピンラフティ(Lapinlahti)の農家に生まれた。父親はアマチュア画家で、近傍の教会からの依頼で装飾画を描くこともあり、ハロネンも父親が絵の仕事に行くのに同行し絵の技術を学んだ[3][2]。ハロネンは、ヘルシンキの美術協会の美術学校で4年間学んだ。優れた才能を示し、奨学資金を得て、1890年にパリに出て、私立の美術学校、アカデミー・ジュリアンで学び[4]、ポール・ゴーギャンの指導も受けた[5][6]。イタリア人モデルの一家が経営する美術学校アカデミー・ヴィッティ(Académie Vitti)でも学んだ[7][2]。
音楽を学んでいたフィンランド人学生のマイヤ・マキネンと結婚したのは1895年で4人の息子と4人の娘が生まれた。1895年に家族とヘルシンキのある、ウーシマー県のトゥースラ湖近くの家に住みスタジオを開いた。ハロネン自身と弟で美術家になったアンティ・ハロネン(Antti Halonen: 1870-1945)がデザインした「ハロセンニエミ(Halosenniemi)」と呼ばれるログハウスを1901年から翌年年の冬の間に自宅の近くに作った[8] 。この建物は現在ハロセンニエミ美術館になっている。またトゥースラ湖の付近は多くの芸術家の集まる芸術家村になった。
1896年に、フィレンツェ、シエナ、ローマなどを旅し、初期ルネサンス美術を学び、1900年にパリ万国博覧会のフィンランド館に2点の作品を展示した。1904年にはウィーンからサンクトペテルブルクを経てフィレンツェに至る旅をした[9]。
作品
[編集]-
昼食 (1899)
-
カレリアの開拓者 (1900)
-
Kivesjärviの家
-
草刈りをする農民 (1891)
-
石切職人 (1903)
-
冬の風景 (1919)
-
サウナで (1925)
参考文献
[編集]- ^ Aimo Reitala. "Halonen, Pekka." Grove Art Online. Oxford Art Online. Oxford University Press. Web. 2 Mar. 2016
- ^ a b c d “The Life and Art of Pekka Halonen”. alternativefinland.com. January 1, 2019閲覧。
- ^ “Halonen, Pekka (1865 - 1933)”. Kansallisbiografia (20 June 2019). January 1, 2019閲覧。
- ^ Grove Art Online
- ^ a b Pekka Halonen (1865–1933) at the Halosenniemi Museum
- ^ “Oravien aarteita - Pekka Halonen”. Jyväskylän taidemuseon Holvi. 7 August 2020閲覧。
- ^ “Vitti, ??-??”, The Correspondence of James McNeill Whistler (University of Glasgow) 2017年7月17日閲覧。
- ^ Ruohonen, Johanna (9 July 2008). “Pekka Halonen - kansanmies ja luonnonmystikko”. Turun Sanomat 7 August 2020閲覧。
- ^ “Pekka Halonen 150 years”. Ateneum Art Museum. January 1, 2019閲覧。
- ^ “The Life and Art of Pekka Halonen”. Alternative Finland (13 October 2014). 7 August 2020閲覧。