コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ペドロ・ヴァインゲルトナー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ペドロ・ヴァインゲルトナー
Pedro Weingärtner
生誕 1853年7月26日
ブラジルの旗 ブラジルポルト・アレグレ
死没 1929年12月26日]
ブラジルの旗 ブラジルポルト・アレグレ
テンプレートを表示

ペドロ・ヴァインゲルトナー(Pedro Weingärtner、1853年7月26日 - 1929年12月26日)はブラジルの画家である。ヨーロッパに留学し、ブラジルで人気のある画家になった。

略歴

[編集]

ポルト・アレグレで、ドイツ移民の家族に生まれた。版画家の兄と、当時ポルト・アレグレで活動していた画家のデルフィン・ダ・カマラ(Delfim da Câmara)から美術教育を受けたとされている。1878年に美術の修行のためにドイツに渡り、カールスルーエの美術アカデミーで、フェルディナント・ケラーやテオドール・ペック(Theodor Poeckh)、エルンスト・ヒルデブラントに学び、1880年にケラーがベルリンの美術学校に移ると、ヴァインゲルトナーもベルリンに移った。

1882年にフランスに移り、アカデミー・ジュリアンに入学し、トニ・ロベール=フルーリー[1]ウィリアム・アドルフ・ブグローに学んだ[2]。留学資金が不足したが、友人となったブラジルの外交官のイタジュバの男爵の助けで、ブラジル皇帝ペドロ2世から奨学金を得ることができた。さらに修行のためローマを訪れた。

ブラジルに戻った後も、リオデジャネイロ、ポルト・アレグレ、ローマを行き来して活動した。当時のもっとも有名なブラジル画家の一人となった。当時のブラジルの画家に影響を与えた。1920年からポルト・アレグレで活動した。

1920年代半ばから、新しい世代の画家たちの出現や、美術における嗜好の変化から人気は失われていった。写実主義やロマン主義の時代のアカデミック美術を学んだ画家で、神話を題材にした絵画や風景画、働く人々を描いた風俗画を描いた。[3][4]

作品

[編集]

参考文献

[編集]