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ホイス (割り材)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ホイスは、東京都港区白金の後藤商店(現・有限会社ジィ・ティ・ユー)が開発し、製造、販売するの割り材[1][2]小売りはされておらず、大衆酒場など一部でしか飲むことができないため、「幻の酒」とも称される[1][2]

概要

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1949年(昭和24年)当時の東京は戦禍によって焼け野原となっており、物資は乏しく、酒も粗悪品で味の悪いものばかりであった[1]。そんな時期に「飲食店を元気にしたい」という思いから後藤商店の創業者・後藤武夫が開発したのが、割り材のホイスである[1]。後藤武夫は第二次世界大戦前から酒屋を営んでおり、海外を訪れた経験もあったため、ヨーロッパで飲んだ酒を参考に、当時の日本では普及していなかったハイボールに似た味を求めてホイスを作った[1]。名称は「ウイスキー」をもじって「ホイスキー」となり、「ホイス」となった[1][3][4][5]。そのため、「チューハイの元祖」ともいわれる[4]

2021年時点では後藤武夫の孫であり、ジィ・ティ・ユー代表である後藤竜馬が門外不出で一子相伝のレシピを継承し、専任でホイスの調合を行っている[1][4]。仕込みタンクは2つだけで、製造量は多くても1日約720リットルに留まるため、古くから付き合いのある飲食店など、限られた取引先にのみ販売している[1]

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「例えようのない味」と後藤竜馬は語る[1]

後藤竜馬の元に届く感想では「癖が強い」「癖がない」「甘い」「すっきりしている」といったものもあり、「薬草の味」「かんきつ系の風味」「カラッとしたジンジャーエールのような味」「梅酒のような風味」という感想もある[1]

材料

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材料についても明らかにはされていないが、ワイン・リキュールをベースにし[5]トウヒ陳皮コンズランゴ英語版といった胃薬漢方薬に使われるような成分が入っているともいわれる[3][4]

なお、レシピについては文書化されておらず、後藤武夫から息子の後藤勲へ、勲の息子の竜馬へと身体で覚えるような伝え方となっており、最初の武夫ものと竜馬のものとでは味がかなり変わっている可能性もある[6]。これには、原料メーカーの廃業、原料の輸入が禁止になる、薬事法の改正といった理由で、代替となる原材料を探して味のイメージが近づくようにしていることもあるためである[6]。また、意図的に味わいを変えることもある[6]

ホイスのアルコール度数は0.2%であり、日本の酒税法上はノンアルコール飲料である[6]

利用法

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推奨される割り方は「ホイス2:焼酎3:炭酸水5」となっている[1]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 知る人ぞ知る 幻の酒「ホイス」 大衆酒場の味」『産経新聞』2021年11月14日。2024年4月27日閲覧。
  2. ^ a b K.Masami (2023年9月24日). “幻の酒と呼ばれる『ホイス』に出会った話”. ロケットニュース24. 2024年4月27日閲覧。
  3. ^ a b 幻の酒「ホイス」とは? 恵比寿『やきとり田吾作』で飲んできた!”. 食楽web (2019年2月13日). 2024年4月27日閲覧。
  4. ^ a b c d 福井晶 (2020年10月15日). “「全てをハイにする」第10弾! 恵比寿『田吾作』の幻のホイスから、酎ハイの礎を学ぶ”. さんたつ. 散歩の達人. 2024年4月27日閲覧。
  5. ^ a b 「唯一無二の酔い心地 東京レア飲料の世界」『東京 「駅近」居酒屋名店探訪』東京書籍、2011年、78頁。ISBN 978-4487805792 
  6. ^ a b c d 中山秀明 (2023年1月20日). “一子相伝で受け継がれる“幻”の割り材「ホイス」の噺”. GetNaviweb. 2024年4月27日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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