ホスティリウス氏族
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ホスティリウス氏族(ラテン語: Gens Hostilia)は、古代ローマの氏族のひとつ。著名な人物に王政ローマ三代目トゥッルス・ホスティリウス王がいる。
メンバー
[編集]- ホスティウス・ホスティーリウス[1]
- (不明)
- トゥッルス・ホスティリウス:王政ローマの三代目王[2]
- (不明)
マンキヌス
[編集]- アウルス
- アウルス・ホスティリウス・マンキヌス:紀元前151年のアエディリス・クルリス[5]
- ルキウス
- ルキウス
トゥブルス
[編集]- ガイウス・ホスティリウス・トゥブルス:紀元前209年の首都プラエトル[7]
- ルキウス・ホスティリウス・トゥブルス:紀元前142年のプラエトル。贈賄罪で当時護民官のプブリウス・ムキウス・スカエウォラに告発され逃亡、後服毒自殺[8]
- ルキウス・ホスティリウス・トゥブルス:紀元前90年頃の貨幣鋳造三人委員[9]
カト
[編集]- アウルス・ホスティリウス・カト:紀元前207年のプラエトル。サルディニア担当[10]
- ガイウス・ホスティリウス・カト:紀元前207年の首都プラエトル。外国人係も兼任[10]
- ルキウス・ホスティリウス・カト:紀元前201年の土地分配十人委員会メンバー[11]
サセルナ
[編集]- ルキウス・ホスティリウス・サセルナ:紀元前48年頃の貨幣鋳造三人委員[12]
- ガイウス・ホスティリウス・サセルナ:紀元前46年カエサル配下のレガトゥス[13]
- プブリウス・ホスティリウス・サセルナ:紀元前46年カエサル配下のレガトゥス[13]
その他
[編集]- ガイウス・ホスティリウス:紀元前168年ガイウス・ポピッリウス・ラエナスらと共にプトレマイオス朝エジプトに派遣された[14]
- ルキウス・ホスティリウス:紀元前68年の護民官[15]
- トゥッルス・ホスティリウス:紀元前42年の護民官[16]
脚注
[編集]- ^ リウィウス, 1.12.
- ^ リウィウス, 1.22.
- ^ Broughton, vol.1 p.419.
- ^ Broughton, vol.1 p.484.
- ^ Broughton, vol.1 p.455.
- ^ Broughton, vol.1 p.469.
- ^ Broughton, vol.1 p.285.
- ^ Broughton, vol.1 p.475.
- ^ Broughton, vol.2 p.442.
- ^ a b Broughton, vol.1 p.295.
- ^ Broughton, vol.1 p.322.
- ^ Broughton, vol.2 p.441.
- ^ a b Broughton, vol.2 p.301.
- ^ Broughton, vol.1 p.430.
- ^ Broughton, vol.2 p.138.
- ^ Broughton, vol.2 p.359.
参考文献
[編集]- ティトゥス・リウィウス『ローマ建国史』。
- T. R. S. Broughton (1951, 1986). The Magistrates of the Roman Republic Vol.1-3. American Philological Association