ホセ・カラスコ
表示
ホセ・カラスコ José Carrasco | |
---|---|
ホセ・カラスコ(2010年10月) | |
生年月日 | 1944年4月14日 |
出生地 | ペルー、ピウラ県スリャナ郡 |
没年月日 | 2015年1月16日(70歳没) |
死没地 | ペルー、リマ |
出身校 | フェデリコ・ビジャレアル国立大学 |
前職 | 弁護士 |
所属政党 | アメリカ革命人民同盟 |
在任期間 | 1988年9月5日 - 1989年5月15日 |
大統領 | アラン・ガルシア |
ペルー共和国議会議員 | |
選挙区 | ピウラ県 |
在任期間 | 2001年7月26日 - 2011年7月26日 |
ホセ・カルロス・カラスコ・タバラ(スペイン語: José Carlos Carrasco Távara, 1944年4月14日 – 2015年1月16日)は、ペルーの弁護士、政治家。
生涯
[編集]ピウラ県スリャナ郡に生まれる。故郷のコレジオ・サンタ・ロサ・デ・ロス・エルマノス・マリスタを卒業した後、1965年からフェデリコ・ビジャレアル国立大学で法学を専攻して政治学の学士号を取得し、後に弁護士の資格を取得した。
第一次アラン・ガルシア政権にエネルギー鉱山長官を務め、1990年から1992年にかけてアルベルト・フジモリ大統領が自作クーデターで議会全体を閉鎖したとき、ピウラ県から選出された副議員であった。2001年から2011年までの計2期で議員としてピウラ県から選出された[1]。2014年の地方選挙では、ピウラ県政府の「オブラス+オブラス地方運動」の大統領候補として大統領選挙には立候補しなかったが加わり、得票率2.347%で8位に留まった[1]。
2015年1月16日、リマにおいて肺癌で死去。70歳だった[2]。
出典
[編集]- ^ a b “Infogob | HISTORIAL PARTIDARIO - JOSE CARLOS CARRASCO TAVARA”. 2021年7月25日閲覧。
- ^ Falleció José Carrasco Távara, ex ministro aprista - ウェイバックマシン(2015年1月19日アーカイブ分)