ホソヘリカメムシ
ホソヘリカメムシ | |||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
分類 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||||||||||||||
学名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
Riptortus pedestris (Linnaeus, 1758) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
シノニム | |||||||||||||||||||||||||||||||||
和名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
ホソヘリカメムシ |
ホソヘリカメムシ(学名: Riptortus pedestris)は、カメムシ目ホソヘリカメムシ科に属する昆虫の1種である。マメ科の作物栽培における害虫の一種として扱われている。
形態
[編集]成虫の腹には黄色と黒の縞模様があるが、ふだんは羽に隠れて見えない。飛翔するとこの模様が現れ、ハチに似て見える[1]。雄の成虫の後脚腿節が不釣り合いに太く、その内側に棘の列がある[2]。
幼虫の体型は、黒っぽい色で、頭と胸、胸と腹のくびれが大きい。歩く様子も含め、アリによく似ている[3]。
いわゆるカメムシ臭ではないが、ホソヘリカメムシも臭いにおいは出す。
分布
[編集]北海道から南西諸島までの日本、朝鮮半島・台湾、中国、マレー半島[4]。
分類
[編集]ホソヘリカメムシの学名は2000年代まで Riptortus clavatus であったが、2005年に再分類され、clavatusは大陸に分布する Riptortus pedestris のシノニムになった。R. pedestris にはキボシホソヘリカメムシという和名があったが、なじみがないキボシの名を廃し、ホソヘリカメムシを残した[5]。
生態
[編集]卵から出たばかりの1齢幼虫は、何も食べずに脱皮し、2齢幼虫になる。2齢幼虫が移動して食草にたどりつく[6]。幼虫はふだんは分散して暮らしているが、脱皮の直前に集まり、脱皮集団を作る[7]。幼虫は1齢から5齢までで20から30日を経過し、次には羽化して成虫になる[8]。
成虫が完全な飛翔能力を獲得するには羽化後2、3日かかる[9]。日照時間が長いときに限り、雄は成虫になって5日目の頃から交尾しようとする[10]。雌が食草に集まると、雄は雌の居場所を縄張りとし、縄張りをめぐって争う。争いでは棘がついた後ろ足で相手をはさみつけるという方法がとられ、後脚腿節が長いものが有利になる[11]。
年間の発生回数は気候によって変わる。北海道では1、東北で2、関東以西で3回の世代を重ねているようである[12]。
冬には集団を作らず、草の根元や落ち葉の下で成虫が越冬するらしい[13]。林床にはほとんど見られない[14]。
食草
[編集]幼虫、成虫とも様々なマメ科植物の子実を吸汁し、ダイズ、ササゲなどの豆類栽培において重要害虫である。茨城県での調査によれば、ゲンゲ(レンゲ)、ムラサキツメクサ(アカクローバ)、ダイズと次々に移ることで春から秋まで発生を続けるようである[15]。イネ科に付いて[16]斑点米の原因となることもある[17]。イチゴ、ナシ、カキ、ゴマ、サツマイモ、柑橘類にも加害する[18]。
温度条件を満たせば、市販の乾燥大豆と水で飼育できる[19]。
共生細菌
[編集]カメムシ類は体内に共生細菌を持つことが普通で、ホソヘリカメムシも中腸にある盲嚢という袋状の組織にブルクホルデリア属の細菌1種を共生させている。この細菌は土壌中に普通に存在し、ホソヘリカメムシが主に2齢幼虫のときに口から摂取する[20]。親から受け渡されるわけではない[21]。あとは鞭毛で動いて盲嚢に到達するが、他種の菌は何か不明の仕組みによって到達を阻まれる[22]。
大豆害虫のホソヘリカメムシは、農薬として使用されている有機リン系殺虫剤の1種であるフェニトロチオンに対して耐性を獲得することがある。その原因が、この共生細菌の働きであることがわかってきた。この細菌の中には農薬を分解して栄養源にするものと、それができないものもあるが、農薬が散布された土壌では、農薬を分解する能力を持つものが増殖する。するとカメムシが耐性菌を摂取する可能性が増し、カメムシにも農薬耐性がつく、という流れである[23]。
集合フェロモン
[編集]ホソヘリカメムシの雄は、成虫と幼虫、特に2齢幼虫を集める集合フェロモンを発散する。その成分は(E)−2−hexenyl (E)−2−hexenoate と (E)−2−hexenyl (Z)−3−hexenoate と tetradecyl isobutyrate の3つである[24]。3成分の混合物でなければ機能しない[25]。
ホソヘリカメムシの2齢幼虫は、歩いて食草にたどりつくときに、この集合フェロモンに導かれる。幼虫が食草を探し歩かなければならないのは、親が直接食草に産卵しないためである。雄のフェロモンが、幼虫にとっては食草の存在を教える導きになっているようである[6]。
天敵となる寄生バチ
[編集]ホソヘリカメムシの卵には、寄生バチのカメムシタマゴトビコバチ、ヘリカメクロタマゴバチ、ホソヘリクロタマゴバチ[26]、トビコバチ科のOoencyrtus属の1種が産卵する[27]。
カメムシタマゴトビコバチの雌はホソヘリカメムシの集合フェロモンに含まれる (E)−2−hexenyl (E)−2−hexenoate に惹かれて集まってくる[25]。これはカメムシの卵に産卵する寄生バチである。ホソヘリカメムシが食草を産卵場所に選ばない理由は、このハチを避けることにあるのではないかと考えられる。つまり、食草には雄成虫がおり、その集合フェロモンが寄生バチを呼び寄せる。そのため、卵の段階では食草から離れて寄生バチをやり過ごし、寄生の恐れがない幼虫の段階で、集合フェロモンに導かれて食草にたどりつくというわけである[6]。
これに対応してか、カメムシタマゴトビコバチは、フェロモンの発生源のすぐ近くを集中探索するのでなく、周辺を探るような行動をとっている[28]。
脚注
[編集]- ^ 藤崎憲治『カメムシはなぜ群れる?』28頁。『全改訂新版原色日本昆虫図鑑』(下)111頁。
- ^ 『原色昆虫大圖鑑』(北隆館)第3巻84頁。
- ^ 藤崎憲治『カメムシはなぜ群れる?』27-28頁。『日本産幼虫図鑑』89頁。
- ^ 中国・マレー半島はRiptortus clavatusがシノニムとされる以前のRiptortus pedestrisの分布域(藤崎憲治『カメムシはなぜ群れる?』30頁)。日本・朝鮮・台湾については『全改訂新版原色日本昆虫図鑑』(下)111頁。
- ^ 藤崎憲治『カメムシはなぜ群れる?』、30頁。
- ^ a b c 藤崎憲治『カメムシはなぜ群れる?』90-91頁。
- ^ 藤崎憲治『カメムシはなぜ群れる?』38-39頁。
- ^ 『日本産幼虫図鑑』89頁。
- ^ 伊藤清光「ホソヘリカメムシの羽化後日数と飛翔能力」。
- ^ 和田節・水谷信夫・樋口博也「ホソヘリカメムシの集合フェロモン 雄の交尾行動とフェロモン放出」、83-84頁。
- ^ 藤崎憲治『カメムシはなぜ群れる?』96頁。
- ^ 水谷ほか「ホソヘリカメムシの数種マメ科植物上の発生消長」、168頁。
- ^ 伊藤健二他「ホソヘリカメムシはどこで越冬しているのか」。
- ^ 守屋成一「二次林林床落葉下におけるカメムシ類越冬調査結果に基づくホソヘリカメムシ・イチモンジカメムシ越冬場所の推定」。
- ^ 水谷ほか「ホソヘリカメムシの数種マメ科植物上の発生消長」。
- ^ 『全改訂新版原色日本昆虫図鑑』保育社、1977年、111頁。
- ^ 『日本原色カメムシ図鑑』第1巻272頁。
- ^ イチゴについては『日本原色カメムシ図鑑』第1巻275頁、ナシとカキは同書296頁。ゴマとサツマイモは『日本産幼虫図鑑』89頁。柑橘類については『日本産幼虫図鑑』89頁と『日本原色カメムシ図鑑』第1巻296頁。
- ^ 城所隆「ホソヘリカメムシの乾燥種子による飼育と発育」。釜野静也「ホソヘリカメムシの簡易飼育法」。
- ^ 細川貴弘『カメムシの母から子に伝える共生細菌』、92 - 93頁。
- ^ 菊池義智「ホソヘリカメムシとBurkholderiaの環境獲得型相利共生」219頁。細川貴弘『カメムシの母から子に伝える共生細菌』、89 - 92頁。
- ^ 大林翼「じぇじぇじぇ!驚きいっぱいのホソヘリカメムシ腸内共生系」、10-11頁。
- ^ 菊池義智「共生細菌による害虫の農薬抵抗性獲得機構」。
- ^ 水谷信夫「カメムシ類雄成虫のフェロモンとそれによる天敵捕食寄生者の誘引」91頁。
- ^ a b 増田周太・水谷信夫・和田節「ホソヘリカメムシ合成集合フェロモンに対するホソヘリカメムシと卵寄生蜂カメムシタマゴトビコバチの反応の差異」。水谷信夫ほか「ホソヘリカメムシ合成集合フェロモンがダイズ圃場における天敵卵寄生蜂カメムシタマゴトビコバチの密度および寄生率に及ぼす影響」。横須賀知之「カメムシ類の合成集合フェロモンによる卵寄生蜂の誘引とそのカメムシ卵に対する寄生に及ぼす影響」。
- ^ 以上3種は水谷信夫「ホソヘリカメムシの3種卵寄生蜂幼虫の寄主卵内における種間競争」、106頁による。
- ^ 高須啓志・広瀬義躬「福岡市におけるダイズ加害性カメムシ類の卵寄生蜂の季節的寄生消長」128頁。
- ^ 水谷信夫ほか「ホソヘリカメムシ合成集合フェロモンがダイズ圃場における天敵卵寄生蜂カメムシタマゴトビコバチの密度および寄生率に及ぼす影響」、200-201頁。
参考文献
[編集]- 伊藤修四郎・奥谷禎一・日浦勇(編著)『全改訂新版原色日本昆虫図鑑』、保育社、1977年。
- 安松京三・朝比奈正二郎・石原保(著者代表・監修者)『原色昆虫大圖鑑』第3巻、北隆館、第9版1998年(初版1965年)。
- 志村隆・編『日本産幼虫図鑑』、学習研究社、2005年。
- 安永智・山下泉・川沢哲夫・高井幹夫・川村満『日本原色カメムシ図鑑』(第1巻)、全国農村教育協会、1993年。
- 伊藤清光「ダイズに飛来する以前のホソヘリカメムシの寄主植物の推定」、『関東東山病害虫研究会年報』第29集、1982年。
- 伊藤清光「ホソヘリカメムシの羽化後日数と飛翔能力」、『関東東山病害虫研究会年報』第31集、1984年。
- 伊藤健二・田渕研・守屋成一・水谷信夫「ホソヘリカメムシはどこで越冬しているのか」、『日本応用動物昆虫学会大会講演要旨』第50巻2号、2006年3月。
- 大林翼「じぇじぇじぇ!驚きいっぱいのホソヘリカメムシ腸内共生系 いつ研究するの?今でしょ!」、『日本微生物生態学会誌』第29巻第1号、10-11頁、2014年3月。
- 城所隆「ホソヘリカメムシの乾燥種子による飼育と発育」、『北日本病害虫研究会報』第29号、1978年10月、5-10頁。(KIDOKORO Takashi "Rearing by Dry Seed and Development of Riptortus clavatus THUNBERG (Heteroptera: Coreidae)", Annual Report of the Society of Plant Protection of North Japan, No. 29 (1978), pp. 5 - 10.
- 釜野静也「ホソヘリカメムシの簡易飼育法」、『日本応用動物昆虫学会誌』第22巻第4号、1978年11月、285-286頁。
- 菊池義智「共生細菌による害虫の農薬抵抗性獲得機構:ホソヘリカメムシは土壌中の農薬分解菌を獲得して抵抗性になる」、『化学と生物』第51巻8号、510頁 - 512頁, 2013年。
- 菊池義智「ホソヘリカメムシとBurkholderiaの環境獲得型相利共生」、『蚕糸・昆虫バイオテック』第83巻3号、219頁から222頁、2014年。
- 河野哲「カメムシ3種によるダイズ子実被害の解析」、『日本応用動物昆虫学会誌』第33巻3号、1989年8月。
- 高須啓志・広瀬義躬「福岡市におけるダイズ加害性カメムシ類の卵寄生蜂の季節的寄生消長」、『九州病害虫研究会報』第31巻、1985年。
- 藤崎憲治『カメムシはなぜ群れる? 離合集散の生態学』、京都大学学術出版会、2009年。
- 細川貴弘『カメムシの母から子に伝える共生細菌 必須相利共生の多様性と進化』、共立出版、2017年。
- 水谷信夫・和田節・樋口博也・小野幹夫・Leal Walter Soares「ホソヘリカメムシ合成集合フェロモンがダイズ圃場における天敵卵寄生蜂カメムシタマゴトビコバチの密度および寄生率に及ぼす影響」、『日本応用動物昆虫学会誌』第43巻4号、1999年11月。
- 水谷信夫「ホソヘリカメムシの3種卵寄生蜂幼虫の寄主卵内における種間競争」、『九州病害虫研究会報』第40巻、1994年。
- 水谷信夫「カメムシ類雄成虫のフェロモンとそれによる天敵捕食寄生者の誘引」、『日本応用動物昆虫学会誌』第50巻2号、2006年5月。
- 水谷信夫・守屋成一・山口卓宏・伊藤健二・田渕研・角田隆・岩井秀樹「ホソヘリカメムシの数種マメ科植物上の発生消長、『日本応用動物昆虫学会誌』第55巻3号、2011年。
- 増田周太・水谷信夫・和田節「ホソヘリカメムシ合成集合フェロモンに対するホソヘリカメムシと卵寄生蜂カメムシタマゴトビコバチの反応の差異」、『日本応用動物昆虫学会誌』第45巻第4号、2001年11月。
- 守屋成一「二次林林床落葉下におけるカメムシ類越冬調査結果に基づくホソヘリカメムシ・イチモンジカメムシ越冬場所の推定」、『関東東山病害虫研究会報』第52集、2005年12月。
- 横須賀知之「カメムシ類の合成集合フェロモンによる卵寄生蜂の誘引とそのカメムシ卵に対する寄生に及ぼす影響」、『関東東山病害虫研究会報』第56号、2009年12月
- 和田節・水谷信夫・樋口博也「ホソヘリカメムシの集合フェロモン 雄の交尾行動とフェロモン放出」、『九州病害虫研究会報』第43巻、1997年。