ホルヘ・カストロ
2007年 | |
基本情報 | |
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本名 | ホルヘ・フェルナンド・カストロ |
通称 |
Locomotora(機関車) El Roña |
階級 | クルーザー級 |
身長 | 177cm |
リーチ | 175cm |
国籍 | アルゼンチン |
誕生日 | 1967年8月18日(57歳) |
出身地 | サンタクルス州カレタ・オリビア |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 144 |
勝ち | 130 |
KO勝ち | 90 |
敗け | 11 |
引き分け | 3 |
ホルヘ・カストロ(Jorge Castro、1967年8月18日 - )は、アルゼンチンの男性プロボクサー。元WBA世界ミドル級王者。20 - 50戦でキャリアを終えるのが一般的となっている現代で、144戦130勝という驚異的なレコードを保持。ミドル級でも小柄ながら、3階級上のクルーザー級で2度世界挑戦をした。
来歴
[編集]1987年2月14日、スーパーウェルター級でプロデビューし初回KO勝ちでデビューを飾った。その後ハイペースで試合を重ね経験を積んだ。
1989年4月14日、アルゼンチンFABスーパーウェルター級王者ウーゴ・ラウル・マリナンゲージと対戦し4回KO勝ちで王座獲得に成功した。
1991年12月13日、72戦目でWBC世界スーパーウェルター級王者テリー・ノリスと対戦し12回0-3(112-120、111-117、110-118)の判定負け。
1992年6月30日、ロイ・ジョーンズ・ジュニアと対戦し10回0-3(92-98、91-100、91-99)判定負け。ジョーンズはこの試合でデビューからの連続KO記録がストップ。
1994年8月14日、ジョン・デビッド・ジャクソンの王座剥奪で空位となったWBA世界ミドル級王座決定戦でレジー・ジョンソンと対戦し、12回2-1(2者が116-114、115-116)判定勝ちで王座獲得に成功した。
1994年11月5日、アレックス・ラモスと対戦し、2回1分13秒KO勝ちで初防衛に成功した。
1994年12月10日、ジョン・デビッド・ジャクソンと対戦。一方的に攻め立てられ、KO負け寸前にまで追い込まれたが、1発のカウンターから大逆転の9回2分34秒TKO勝ちを収め2度目の防衛に成功した。
1995年5月27日、アンソニー・アンドリューズと対戦し判定でも3者ともに115-114の僅か1点差に追い上げられたが最終12回2分14秒TKO勝ちで3度目の防衛に成功した。
1995年10月13日、王座決定戦で対戦したレジー・ジョンソンと対戦し12回2-1(118-113、115-113、112-115)の判定勝ちでジョンソンとの因縁を立ち4度目の防衛に成功した。
1995年12月19日、後楽園ホールで竹原慎二と対戦。3回に左ボディブローでプロ・アマ通じて初のダウンを奪われる(と伝えられているが、実際はプロで2度目)。この時カストロはマウスピースを吐き出して、時間稼ぎをした。試合は12回0-3(114-116、112-118、111-117)の判定負けで5度目の防衛に失敗し王座から陥落した[1]。
1997年2月15日、ロベルト・デュランと対戦し10回3-0(100-94、99-96、99-98)の判定勝ち。
1997年6月14日、デュランとのリマッチで10回0-3(3者とも95-97)の判定負け。
2000年12月16日、WBC世界クルーザー級王者ファン・カルロス・ゴメスと対戦したがキャリア初のKO負けとなる10回1分56秒TKO負けで2階級制覇に失敗した。
2001年10月20日、イマム・メイフィールドとIBF世界クルーザー級挑戦者決定戦でワシリー・ジロフへの挑戦権をかけて対戦し9R開始早々棄権で挑戦権獲得に成功した。
2002年2月1日、IBF世界クルーザー級王者ワシリー・ジロフと対戦したが12回0-3(3者とも110-119)の判定負けでまたしても2階級制覇に失敗した。
2007年1月27日、前回敗れたホセ・ルイス・ヘレーラと再戦し2回に4度倒し試合終了。2回2分28秒TKO勝ちを最後に現役を引退した。
戦績
[編集]- プロボクシング:144戦130勝(90KO)11敗3分
戦 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
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1 | 1987年2月14日 | 勝利 | 1R | KO | パトリシオ・ジャーマン・カラッシ | チリ | プロデビュー戦 |
2 | 1987年3月14日 | 引分 | 6R | 判定 | ホルヘ・アルベルト・モレノ | アルゼンチン | |
3 | 1987年4月10日 | 勝利 | 6R | 判定3-0 | ロベルト・マルチネス | アルゼンチン | |
4 | 1987年5月7日 | 勝利 | 2R | KO | ホセ・アルベルト・アルバラード | チリ | |
5 | 1987年6月5日 | 勝利 | 1R | KO | セルジオ・サエス | アルゼンチン | |
6 | 1987年7月3日 | 勝利 | 3R 終了 | TKO | カルロス・オマール・アルマダ | アルゼンチン | |
7 | 1987年8月4日 | 引分 | 10R | 判定 | ホルヘ・アルベルト・モレノ | アルゼンチン | |
8 | 1987年9月12日 | 勝利 | 2R | TKO | ルイス・アルマンド・サンチェス | アルゼンチン | |
9 | 1987年9月24日 | 勝利 | 10R | 判定 | アントニオ・レネ・ファレス | アルゼンチン | |
10 | 1987年10月9日 | 勝利 | 10R | 判定 | セルヒオ・ノルベルト・コムビス | アルゼンチン | |
11 | 1987年11月13日 | 勝利 | 10R | 判定 | ホルヘ・ピノ | パナマ | |
12 | 1987年12月11日 | 勝利 | 3R | KO | ホセ・アルベルト・アルバラード | アルゼンチン | |
13 | 1987年12月23日 | 勝利 | 10R | 判定 | セルヒオ・エドゥアルド・ロンコニ | アルゼンチン | |
14 | 1988年1月15日 | 勝利 | 8R | 失格 | ウーゴ・アルフレド・ルエロ | アルゼンチン | |
15 | 1988年2月19日 | 勝利 | 3R | KO | ペドロ・ルイス | アルゼンチン | |
16 | 1988年3月4日 | 勝利 | 1R | KO | セサール・オスカー・ペレス | アルゼンチン | |
17 | 1988年3月19日 | 勝利 | 7R | TKO | ウーゴ・アルフレド・ルエロ | アルゼンチン | |
18 | 1988年4月9日 | 勝利 | 1R | TKO | ドミンゴ・サイモン・ソーサ | アルゼンチン | |
19 | 1988年5月13日 | 勝利 | 1R | KO | ラモン・フロレンシオ・ラモス | アルゼンチン | |
20 | 1988年5月28日 | 勝利 | 6R | KO | カルソス・ビクター・ベラスケス | アルゼンチン | |
21 | 1988年6月17日 | 勝利 | 5R | TKO | カルロス・セサール・プリエト | アルゼンチン | |
22 | 1988年7月2日 | 勝利 | 2R 終了 | TKO | カルロス・ファウリシアーノ・パストラン | アルゼンチン | |
23 | 1988年7月17日 | 勝利 | 2R | KO | ロビンソン・ロドリゴ・ザモラ | アルゼンチン | |
24 | 1988年7月30日 | 勝利 | 10R | 判定 | ラモン・ガスパー・アベルダノ | アルゼンチン | |
25 | 1988年9月10日 | 勝利 | 10R | 判定 | アントニオ・レネ・ファレス | アルゼンチン | |
26 | 1988年9月24日 | 勝利 | 2R | KO | フェルナンド・ドス・サントス・エルネスト | ブラジル | |
27 | 1988年10月8日 | 勝利 | 1R | KO | ラモン・ガスパー・アベルダノ | アルゼンチン | |
28 | 1988年10月22日 | 勝利 | 4R | KO | ラモン・アンヘル・アレグレ | アルゼンチン | |
29 | 1988年11月8日 | 勝利 | 5R | KO | アルフォンソ・ベイルー | アメリカ合衆国 | |
30 | 1988年11月22日 | 勝利 | 4R | TKO | ジャン・ピエール・インイアマ | コンゴ民主共和国 | |
31 | 1988年12月10日 | 勝利 | 2R | TKO | ファン・カルロス・オルティス | アルゼンチン | |
32 | 1988年12月23日 | 勝利 | 7R | TKO | マリオ・エドゥアルド・マティセー | アルゼンチン | |
33 | 1989年1月23日 | 勝利 | 1R | KO | ロベルト・オズワルト・ディアス | アルゼンチン | |
34 | 1989年2月4日 | 勝利 | 4R | TKO | ホセ・イウゲニオ・トローザ | アルゼンチン | |
35 | 1989年2月27日 | 勝利 | 10R | 判定 | ロレンソ・ルイス・ガルシア | アルゼンチン | |
36 | 1989年3月10日 | 勝利 | 4R | KO | ホルヘ・オスカー・マルチネス | アルゼンチン | |
37 | 1989年3月20日 | 勝利 | 10R | 判定 | エルネスト・ラファエル・セナ | アルゼンチン | |
38 | 1989年4月14日 | 勝利 | 4R | KO | ウーゴ・ラウル・マリナンゲージ | アルゼンチン | アルゼンチンスーパーウェルター級タイトルマッチ・獲得 |
39 | 1989年5月19日 | 勝利 | 10R | 判定 | ホルヘ・アルベルト・モレノ | アルゼンチン | |
40 | 1989年6月10日 | 敗北 | 10R | 判定 | ロレンソ・ルイス・ガルシア | アルゼンチン | |
41 | 1989年7月27日 | 勝利 | 5R | TKO | ジェイク・トランス | アルゼンチン | |
42 | 1989年11月3日 | 勝利 | 2R | KO | ホセ・マリア・ジュリアン・ライアス | アルゼンチン | |
43 | 1989年11月17日 | 勝利 | 9R | KO | ファン・カルロス・オルティス | アルゼンチン | |
44 | 1989年12月2日 | 勝利 | 9R 終了 | TKO | ミゲル・アンヘル・アローヨ | アルゼンチン | |
45 | 1989年12月23日 | 勝利 | 2R | TKO | ダニエル・オマール・ドミンゲス | アルゼンチン | |
46 | 1990年2月8日 | 勝利 | 5R | TKO | セサール・ロバート・ゲレーロ | チリ | |
47 | 1990年3月3日 | 勝利 | 6R | TKO | ヘクター・アベル・レスカノ | アルゼンチン | |
48 | 1990年4月4日 | 勝利 | 10R | 判定 | ホルヘ・アルゲンティーノ・テハーダ | アルゼンチン | |
49 | 1990年5月24日 | 勝利 | 10R | 判定3-0 | ファン・イターロ・メザ | アルゼンチン | |
50 | 1990年6月15日 | 勝利 | 2R | KO | ペドロ・ラモン・チャベーロ | アルゼンチン | |
51 | 1990年6月22日 | 勝利 | 3R | KO | リチャード・ヘクター・シルバ | アルゼンチン | |
52 | 1990年8月25日 | 勝利 | 10R | 判定 | フリオ・アベル・ゴンサレス | アルゼンチン | |
53 | 1990年9月7日 | 勝利 | 1R | KO | デビット・エリス・ベネガス | チリ | |
54 | 1990年9月21日 | 勝利 | 10R | 判定 | フランシスコ・バーナーベ・ボバディラ・フランキクエリ | アルゼンチン | |
55 | 1990年10月5日 | 敗北 | 10R | 判定 | ヘクター・ウーゴ・ビーテ | アルゼンチン | |
56 | 1990年10月14日 | 勝利 | 12R | TKO | ウーゴ・ラウル・マリナンゲーリ | アルゼンチン | 南米スーパーウェルター級タイトルマッチ |
テンプレート |
獲得タイトル
[編集]- アルゼンチンスーパーウェルター級王座
- 南米スーパーウェルター級王座
- 南米クルーザー級王座
- WBAフェデラテンスーパーミドル級王座
- WBAフェデラテンライトヘビー級王座
- WBA世界ミドル級王座(防衛4度)
脚注
[編集]- ^ “【写真特集】負の連鎖止めた大橋秀行、下馬評覆した竹原慎二ら名勝負5傑/後楽園ホール60年”. 日刊スポーツ (2022年4月16日). 2022年8月27日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]空位 前タイトル保持者 ジョン・デビッド・ジャクソン |
WBA世界ミドル級王者 1994年6月24日 - 1995年12月19日 |
次王者 竹原慎二 |