ボグダン2世
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ボグダン2世 | |
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在位期間 1449年10月12日 – 1451年10月17日 | |
先代 | アレクサンドレル |
次代 | ペトル・アロン |
出生 | 1409年 |
死亡 |
1451年10月17日 レウセニ |
王室 | ボグダン=ムシャット朝 |
父親 | アレクサンドル1世 (?) |
母親 | 不詳 |
信仰 | 東方正教会 |
ボグダン2世(Bogdan II、1409年 – 1451年10月17日)は、中世のモルダヴィア公。「大公(cel Mare)」と称されるシュテファン3世の父であり[1]、「串刺し公」として有名なワラキア公ヴラド3世の叔父にあたる。1449年10月12日に即位したが、1451年10月17日に暗殺された。
家族
[編集]ボグダン2世の母親は不明であり、このためアレクサンドル1世の婚外子であったとか、実際にはアレクサンドル1世の弟であったとする説を唱える歴史家も存在する。ボグダン2世の即位にはフニャディ・ヤーノシュの大きな支援があり、極めて良好な関係を築いていた。妻ドアムナ・オルテアは後にマリアという修道名で修道女となり、1465年11月4日に亡くなった。その亡骸はスチャヴァ県のプロボタ修道院に埋葬された。息子シュテファンは後にシュテファン3世としてモルダヴィア公に即位し、反オスマン帝国闘争を率いて大公と称された。
参考文献
[編集]- ^ Vlada Stanković (15 June 2016). The Balkans and the Byzantine World before and after the Captures of Constantinople, 1204 and 1453. Lexington Books. pp. 130–. ISBN 978-1-4985-1326-5
先代 アレクサンドレル |
モルダヴィア公 1449年–1451年 |
次代 ペトル・アロン |