ボビー・マーシャン
ボビー・マーシャン | |
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「ニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバル」にて(1996年) | |
基本情報 | |
出生名 | オスカー・ジェイムズ・ギブソン |
別名 | ボビー・フィールズ |
生誕 | |
死没 | |
ジャンル | |
職業 | 歌手 |
担当楽器 | ボーカル |
活動期間 | 1940年代 - 1999年 |
レーベル |
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共同作業者 | ヒューイ・"ピアノ"・スミス・アンド・ザ・クラウンズ |
ボビー・マーシャン(Bobby Marchan、1930年4月30日 - 1999年12月5日)は、アメリカ合衆国のR&B歌手[2]である。出生名はオスカー・ジェイムズ・ギブソン(Oscar James Gibson)。ジェリ・ホール、ルーズヴェルト・ライトらと並び、ヒューイ・"ピアノ"・スミス・アンド・ザ・クラウンズ初期の主要メンバーとしての活躍が知られている。
来歴
[編集]オハイオ州ヤングスタウン生まれ。マーシャンは10代の頃に女装をするようになり、パウダー・ボックス・リヴューと称するドラァグクイーンの団体を結成している。1950年代中頃より、デュー・ドロップ・インやクラブ・ティアフアナなど、ニューオーリンズのナイトクラブでパフォーマンスをするようになった[3]。1954年、彼は初のレコーディングである"Have Mercy"をコズィモ・マタッサのプロデュースの元、アラディンに残している。続いて彼はドット、エイスと言ったレーベルへレコーディングを行った。エイスの経営者、ジョニー・ヴィンセントはマーシャンのことを女性と勘違いして契約を提示し、ボビー・フィールズという偽名で彼の"Give A Helping Hand"をリリースした[1]。
1957年以降、マーシャンはヒューイ・"ピアノ"・スミスがリーダーを務めるグループ、ザ・クラウンズの一員としてもツアーをするようになった。彼はザ・クラウンズのリード・シンガーも務め、またときにはスミスが曲作りやレコーディングのためにクラブ出演やツアーを欠席した場合のバンドリーダー代理も務めた。ツアー・バンドには、ピアノにジェイムズ・ブッカーが参加することもあった[4]。マーシャンはまた、ヒューイ・スミス&ザ・クラウンズの一員としてレコーディングも行っており、彼らのヒット曲"Rocking Pneumonia And The Boogie Woogie Flu" 、"Don't You Just Know It"、そして"Sea Cruise"のオリジナル・バージョンなどにも参加している。この曲は後日フランキー・フォードのヴォーカルが入れられ、ヒットを記録。多くのアーティストがカバーするようになった[5]。
1959年、彼はザ・クラウンズを離れ、ソロ・アーティストとしてボビー・ロビンソンのファイヤー・レコード入りを果たした。彼は翌1960年にビッグ・ジェイ・マクニーリーのカバー、"There's Something On Your Mind"でR&Bチャート1位を獲得するヒットを記録した。マーシャンはここで、曲の間に長い語りを入れている[6]。しかし、これ以降のファイヤーでのレコードは大きな商業的成功にはつながらず、1963年に彼はスタックス・レコードに移籍することとなった。ここでマーシャンはオーティス・レディングの勧めにより、傘下のレーベルのヴォルト所属となった。ドニー・エルバートのWhat Can I Doのカバーを始め、2枚のシングルがリリースとなった[7]。続いて彼はダイヤル・レコードへ移籍。ここでは、1965年に自作曲"Get Down With It"をレコーディングしている。この曲はリトル・リチャードによってカバーされ、1971年にはイギリスのグラム・ロック・バンド、スレイドが"Get Down And Get with It"としてリリースしてバンド初のヒットとなっている[5]。
カメオ-パークウェイ・レコードへの移籍し、1966年、There's Something About You, Babyをリリース。それに続き2枚目のシングルShake Your Tambourine同年リリースすると、これがR&Bチャート入りするヒットとなった。しかしながら、エイスを含む複数のレーベルからリリースした以後のレコードではヒットに恵まれることはなく、1970年代初頭に、彼はニューオーリンズで女装パフォーマーおよびMCの活動に戻っている。彼はニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバルにレギュラーで出演するようになった[6]。彼の最後のスタジオ・レコーディングの作品は、アル・ベルのエッジ・レコードから1987年にリリースした彼の最大のヒット"There's Something On Your Mind"の再演だった[7]。
彼は1980年代には、自身のプロダクション会社、マニキュア・プロダクションズを設立している。1990年代に入ると、マニキュアはテイク・フォー・レコードのバウンス・ミュージックのアーティスト、DJジュビリーなどヒップホップのブッキングとプロモーションに関わるようになった[6][8]。マーシャンはまた、キャッシュ・マネー・レコードの立ち上げにもかかわった[4]。
マーシャンは1999年12月5日、肝癌のため、ルイジアナ州グレトナで死去した。69歳[5]。
ディスコグラフィ
[編集]ザ・クラウンズのメンバーとして
[編集]- "Rocking Pneumonia and the Boogie Woogie Flu" (Ace 530) 1957 (#5 R&B/#52 Pop)
- "Don't You Just Just Know It" (Ace 545) 1958 (#4 R&B/#9 Pop)
ソロ
[編集]- "There's Something on Your Mind" (Fire 1022) 1960 (#1 R&B/#31 Pop) (Billboard)
- "I've Got a Thing Going On" (Dial 3022) 1964 (#25 R&B #116 Pop) (Billboard)
- "Shake Your Tambourine" (Cameo 429) 1966 (#14 R&B) (Billboard)
参考文献
[編集]- ジョン・ワート『ニューオーリンズR&Bをつくった男 ヒューイ・“ピアノ”・スミス伝』陶守正寛訳、DU BOOKS、2022年11月
脚注
[編集]- ^ a b c d e Ankeny, Jason. Bobby Marchan Biography, Songs, & Albums - オールミュージック. 2022年7月4日閲覧。
- ^ Room, Adrian (2014) [2010]. Dictionary of Pseudonyms 13,000 Assumed Names and Their Origins (5th ed.). McFarland, Incorporated, Publishers. p. 312. ISBN 0786457635
- ^ Hannusch, Jeff (1985), I Hear You Knockin': The Sound of New Orleans Rhythm and Blues, Swallow Publications, Inc., ISBN 0-9614245-0-8
- ^ a b Hannusch, Jeff (1999), “Bobby Marchan, 69, noted N.O. R&B artist”, Times-Picayune November 27, 2009閲覧。
- ^ a b c Biography by Jason Ankeny, Allmusic.com. Retrieved October 25, 2016
- ^ a b c Leigh, Spencer (December 18, 1999), “Obituary: Bobby Marchan”, The Independent November 27, 2009閲覧。
- ^ a b Rounce, Tony, sleeve notes for Bobby Marchan: Get Down With It: The Soul Sides. Kent CD (2011)
- ^ Strauss, Neil (May 28, 2000), “A Trendsetter On Rap's Fringe”, The New York Times November 27, 2009閲覧。