コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ボヤンマンダフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ボヤンマンダフ
プロフィール
出生: 1894年光緒19年)
死去: 1980年
中華人民共和国の旗 中国
出身地: 清の旗 盛京将軍管轄区奉天府康平県
職業: 政治家
各種表記
繁体字 博彥滿都
簡体字 博彦满都
拼音 Bóyànmǎndōu
ラテン字 Buyanmanduqu(Bo-yen-man-dou)
和名表記: ボヤンマンダフ
発音転記: ボーイェンマンドウ
テンプレートを表示

ボヤンマンダフ(モンゴル語:ᠪᠤᠶᠠᠨᠮᠠᠨᠳᠤᠬᠤ Бyян мандах、Buyanmanduqu)は、中華民国満州国中華人民共和国の政治家。モンゴル族。漢語表記は博彦満都、漢名は包雲蔚、字は豹忱

事跡

[編集]

1925年内モンゴル人民革命党に参加し、中央執行委員候補兼ジェリム盟支部長となった。1932年大同元年)4月、ボヤンマンダフは満州国の興安南省民政庁長に就任する。1942年康徳9年)4月、興安南省省長に昇進した。翌1943年(康徳10年)10月、興安総省成立とともに、興安総省省長に昇格し、満州国滅亡まで同職にあった。なおこの期間にあっても、ボヤンマンダフは中国共産党の人士を密かに庇護し、経済的支援も与えている。

満州国滅亡後の1946年民国35年)1月、ボヤンマンダフはモンゴル族上流階層の人物を率いて、ヒンガン盟(興安盟)の葛根廟において東モンゴル自治政府を組織し、自ら主席に就任した。しかし同年5月、ウランフが組織した内モンゴル自治運動連合会に合流し、その副主席に任ぜられている。

1947年内モンゴル自治区が成立すると、ボヤンマンダフもこれに参加した。以後、内モンゴル自治政府第1期臨時参議会議長、内モンゴル自治区人民政府委員、参事室主任、自治区政治協商会議常務委員、中国人民政治協商会議全国委員会第3~5期委員を歴任した。

1980年、死去。享年87。

参考文献

[編集]
  • 二木博史「ボヤンマンダフと内モンゴル自治運動」『東京外国語大学論集』第64巻、東京外国語大学、2002年、67-88頁、ISSN 0493-4342NAID 110001044816 
  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
  満州国
先代
寿明阿
興安南省省長
1942年4月 - 1943年10月
次代
(興安総省に吸収)
先代
(創設)
興安総省省長
1943年10月 - 1945年8月
次代
(廃止)
 東モンゴル自治政府
先代
(創設)
主席
1946年1月 - 5月
次代
(内モンゴル自治運動連合会に吸収)