ポンペオ・マルケージ
ポンペオ・マルケージ Pompeo Marchesi | |
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フランチェスコ・アイエツによる肖像画 | |
生誕 |
1783年8月7日 イタリア、サルトリオ |
死没 |
1858年2月6日 (74歳没) イタリア、ミラノ |
ポンペオ・マルケージ(Pompeo Marchesi、1783年8月7日 - 1858年2月6日)は、イタリアの彫刻家である。ナポレオンが支配した時代からオーストリア支配のロンバルド=ヴェネト王国であった時代のミラノで働いた彫刻家である。
略歴
[編集]現在のロンバルディア州ヴァレーゼ県のサルトリオで生まれた。父親はミラノのドゥオーモで働いた石工で、弟のルイージ・マルケージ(Luigi Marchesi: 1799-1874)も彫刻家になった。
少年時代からミラノで父親の仕事を学び、その後、ミラノのブレラ美術アカデミーで彫刻家のジュゼッペ・フランキ(Giuseppe Franchi: 1731–1806)に学んだ。ナポレオンがミラノを統治した時期に、政府から奨学金の援助を受けて 1804年にローマに移り、ローマでは新古典派の彫刻家、アントニオ・カノーヴァの指導を受けた。1810年にミラノに戻り、ナポレオンの命令で、建築家のカルロ・アマティ(Carlo Amati: 1776–1852)の指揮下で建設が再開されたミラノのドゥオーモの装飾彫刻の制作に参加し[1]、この仕事は生涯続くことになった。
1813年に、ミラノのセンピオーネの凱旋門(Arco del Sempione、後に平和の門 Arco della Paceと呼ばれる)のレリーフを制作した彫刻家の一人となった。この門は1838年に完成した。
1814年にナポレオンのイタリア王国が崩壊し、オーストリア支配のロンバルド=ヴェネト王国が成立した後も、ミラノで最も有力な彫刻家として活動し1816年にコモ大聖堂(Duomo di Como)の装飾彫刻の注文を受けた。ブレラ美術アカデミーでも教えた。
1846年にオーストリアの鉄王冠勲章(Orden der Eisernen Krone)を受章した。1850年に爵位を授与された。
作品
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聖フィリポ(1812)
Museo del Duomo (Milan) -
平和の門(Arco della Pace)のレリーフ
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ノヴァーラのカルロ・エマヌエーレ3世のモニュメント(1837)
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ミラノ、ブレラ宮殿のチェーザレ・ベッカリーアのモニュメント(1837)
脚注
[編集]- ^ {Carolina Brook, Marchesi, Pompeo, in Dizionario biografico degli italiani, vol. 69, Roma, Istituto dell'Enciclopedia Italiana, 2007.
参考文献
[編集]- Giuseppe Occioni-Bonaffone, Nostro carteggio da Milano, in Il Pensiero, Anno sesto, n. 8, Venezia, 24 febbraio 1858, pp. 59-60.
- Antonio Caimi, Delle arti del disegno e degli artisti nelle provincie di Lombardia dal 1777 al 1862, ristampa, Milano, Lugi di Giacomo Pirola, 1862, pp. 164-168.