ポールドペ
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ポールドペ Port-de-Paix | |
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位置 | |
座標 : 北緯19度57分0秒 西経72度50分0秒 / 北緯19.95000度 西経72.83333度 | |
行政 | |
国 | ハイチ |
県 | 北西県 |
郡 | ポードペー郡 |
コミーン | ポールドペ |
地理 | |
面積 | |
コミーン域 | 351.75[1] km2 |
人口 | |
人口 | (2023年現在) |
コミーン域 | 121,220人 |
備考 | 推計値[2] |
ポールドペ(フランス語:Port-de-Paix/平和の港)(ハイチ語Pòdpè)はハイチの北西県の県都。大西洋に面しトルトゥーガ島の対岸にある。人口は約12万人(2023年)。
歴史
[編集]先住民のタイノ人は「Xarama」と呼んでいた。
1492年12月6日夜、クリストファー・コロンブスが上陸し、「バルパライソ」(Valparaíso)と名付けた。
1665年、イギリス勢によりトルチュ島を逐われたフランス系フィリバスターが現在よりもモールサンニコラ寄りに町を建設したとされる。
1676年、フランス領サン=ドマングの首都がトルチュ島から移された。 同年、奴隷のパドル・ジャンが逃亡した。
1679年にはパドル・ジャンらによる最初の黒人奴隷の蜂起が起きた[3]。
バナナとコーヒーの輸出港として栄え、タークス・カイコス諸島からは魚の干物が輸入された。
ハイチ革命のフランソワ・カポワの生地でもある。 ルヴェルチュール軍の第9旅団のジャック・モルパ将軍がブルネット将軍に捕えられ、家族や部下と共にナポレオン軍のロシャンボー将軍に拷問され海に投げ込まれると、カポワが第9旅団を引継ぎ、1803年4月にポールドペを奪還し、ヴェルティエルの戦いでロシャンボーを撃ち破った。
1902年の火事で町全体が焼け、船の他残らなかった[4]。 米、カカオ、タバコも栽培され、近年ではマイアミからの日用品の輸入港となっている。
2018年10月6日、M5.9の地震が発生し、少なくとも12人が死亡した。
メディア
[編集]- Le Novateur
ラジオ
[編集]- Radio 4VTS FM
- Radio Balade FM www.radiobalade.com
- Radio Cascade FM a Chamsolme
- Radio Étincelle
- Radio Melodie FM
- Radio New Star
- Radio Planète FM
- Radio Sonic
- Radio Télévision du Nord-Ouest
- Radio Universelle
- Voix de la Paix
交通
[編集]脚註
[編集]- ^ “Haiti: administrative units, extended”. geoHive. 2016年10月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月14日閲覧。
- ^ “Population Hub”. 15 June 2023閲覧。
- ^ Port-de-Paix, Britannica Online Encyclopedia
- ^ FIRE DESTROYS PORT DE PAIX., The New York Times, Feb. 27, 1902.
外部リンク
[編集]- Port de Paix, TLP