ポーレット・シンジョン (第3代ボリングブルック伯爵)
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第3代ボリングブルック伯爵ポーレット・シンジョン(英語: Paulet St John, 3rd Earl of Bolingbroke、1634年11月23日(洗礼日) – 1711年10月5日)は、イングランド王国の政治家、貴族。
生涯
[編集]ポーレット・シンジョン(初代ボリングブルック伯爵オリヴァー・シンジョンの次男)とエリザベス・ヴォーン(Elizabeth Vaughan)の次男として生まれ[1]、1634年11月23日に洗礼を受けた[2]。1651年、リンカーン法曹院に入った[2]。
イングランド空位期では政治にかかわらなかったが、王政復古の後の1663年にベッドフォード選挙区の補欠選挙で当選、以降再選を繰り返した[2]。
1688年3月18日に兄オリヴァーが死去すると、ボリングブルック伯爵の爵位を継承した[1]。同年の名誉革命以降はカントリのホイッグ党員としてウィリアム3世を支持した[2]。
1689年9月5日から1711年10月5日までベッドフォードシャー首席治安判事を務めた[3]。
1711年10月5日に生涯未婚のまま死去、後継者がおらずボリングブルック伯爵の爵位は断絶したが、ブレッツォのシンジョン男爵は親族のポーレット・セント・アンドリュー・シンジョンが継承した[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 204–205.
- ^ a b c d Naylor, Leonard (1983). "ST. JOHN, Paulet (1634-1711), of Warden Street, Beds". In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年7月13日閲覧。
- ^ Sainty, John Christopher (November 2002). "Custodes Rotulorum 1660-1828". Institute of Historical Research (英語). 2019年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月13日閲覧。
イングランド議会 (en) | ||
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先代 リチャード・テイラー ジョン・ケリング |
庶民院議員(ベッドフォード選挙区選出) 1663年 – 1685年 同職:リチャード・テイラー 1663年 – 1667年 サー・ウィリアム・ビーチャー 1667年 – 1679年 サー・ウィリアム・フランクリン 1679年 – 1685年 |
次代 サー・アンソニー・チェスター準男爵 トマス・クリスティー |
名誉職 | ||
先代 アイルズベリー伯爵 |
ベッドフォードシャー首席治安判事 1689年 – 1711年 |
次代 ケント公爵 |
イングランドの爵位 | ||
先代 オリヴァー・シンジョン |
ボリングブルック伯爵 1688年 – 1711年 |
断絶 |
ブレッツォのシンジョン男爵 1688年 – 1711年 |
次代 ポーレット・セント・アンドリュー・シンジョン |