マイ・ラヴ (ペトゥラ・クラークの曲)
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「マイ・ラヴ」 | ||||
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ペトゥラ・クラーク の シングル | ||||
初出アルバム『A Sign of the Times / My Love』 | ||||
B面 | 愛の行くえ(Where am I going?) | |||
リリース | ||||
規格 | 7インチ・シングル | |||
録音 | 1965年 | |||
ジャンル | ポップス | |||
時間 | ||||
レーベル |
ディスク・ヴォーグ パイ・レコード ワーナー・ブラザース・レコード ディスク・ヴォーグ / テイチク | |||
作詞・作曲 | トニー・ハッチ | |||
プロデュース | トニー・ハッチ | |||
チャート最高順位 | ||||
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ペトゥラ・クラーク シングル 年表 | ||||
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「マイ・ラヴ」(英語: My love)は、ペトゥラ・クラークが1965年に発表した楽曲。翌1966年に全米チャート1位を獲得した。「恋のダウンタウン」の作者トニー・ハッチの作品。イギリスでも最高位4位を記録した[1]。
解説
[編集]1965年すでに「恋のダウンタウン」が全米第1位を記録していたペトゥラ・クラークの2曲目のナンバー・ワン・ソング(2週連続[2])で、2曲のビルボードチャート1位獲得はイギリス出身の女性歌手としては最初である[3]。
また、クラークが初めてアメリカで録音した作品でもあった。後日談ではクラーク自身はこの作品をハル・ブレインらが参加したスタジオ・ミュージシャン集団レッキング・クルーをバックに録音したものの気に入らず、同時に録音された他の2曲のどちらかのシングル化を希望していた。
1964年-1969年の間に19曲をアメリカでチャート・インさせたこの時期のクラークの活躍は素晴らしくビートルズをはじめとするブリティッシュ・インヴェイジョンの効果ともいえる[4]。作者のトニー・ハッチも徐々にソング・ライターとしての名声をアメリカでも高めていた。ペトゥラ自身が歌うフランス語版「Mon amour」(モナムール)・イタリア語版「L'amore è il vento」(愛は風)・ドイツ語版「Verzeih' die dummen Tränen」(愚かな涙を許してください)も各地でヒットした。1970年にはカントリーのソニー・ジェームス盤がカントリー・チャートで第1位を記録している[5]。
カバー
[編集]- ジョン・デビッドソン(1966)
- ソニー・ジェームス(1970)
エピソード
[編集]イントロのメロディは松田聖子「風立ちぬ」のB面曲「Romance」の間奏に引用された。
脚注
[編集]- ^ Complte books of the British charts; singles & albums, by Neil Warwick, Jon Kutner & Tony Brown, Omnibus Press, C2004, p. 239, ISBNː 1-84449-058-0
- ^ PETULA CLARK | CHART HISTORY My LoveBillboard
- ^ 「The Billboard Book of Number One Hits」Fred Bronson
- ^ Top Pop Singles; 1955-2012 by Joel Whitburn, Record Reserch, p.171,ISBN 978-0-8982020-5-2
- ^ Top Country Singles; 1944-1993 by Joel Whitburn, Record Reserch,c1994 p.178,ISBN 0-89820-100-4
- ^ Top pop Album tracks; 1955-1992 by Joel Whitburn, Record Reserch ,c1993,p.300, ISBN 0-89820-094-6
外部リンク
[編集]- https://www.discogs.com/ja/Petula-Clark-My-Love/release/763652
- https://www.discogs.com/ja/Petula-Clark-My-Love/release/1987270
先代 ビートルズ 「恋を抱きしめよう」 |
Billboard Hot 100 ナンバーワンシングル 1966年2月5日 - 2月12日(2週) |
次代 ルー・クリスティ 「恋のひらめき」 |