マクシミリアン・ヴィルヘルム・フォン・ハノーファー
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マクシミリアン・ヴィルヘルム・フォン・ハノーファー Maximilian Wilhelm von Hannover | |
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出生 |
1666年12月13日 神聖ローマ帝国、オスナブリュック司教領バート・イーブルク、イーブルク城 |
死去 |
1726年7月16日(59歳没) 神聖ローマ帝国 オーストリア大公国、ウィーン |
家名 | ハノーヴァー家 |
父親 | ハノーファー選帝侯エルンスト・アウグスト |
母親 | ゾフィー・フォン・デア・プファルツ |
宗教 | キリスト教福音派 → ローマ・カトリック |
マクシミリアン・ヴィルヘルム・フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルク(Maximilian Wilhelm von Braunschweig-Lüneburg)またはマクシミリアン・ヴィルヘルム・フォン・ハノーファー(Maximilian Wilhelm von Hannover, 1666年12月13日 - 1726年7月16日)は、ドイツのハノーファー選帝侯家の公子で、神聖ローマ皇帝(ハプスブルク帝国)軍の将軍、元帥。
生涯
[編集]ハノーファー選帝侯エルンスト・アウグストとその妻でプファルツ選帝侯フリードリヒ5世の娘であるゾフィーの間の第3子、三男として、オスナブリュック郊外のイーブルク城で生まれた[1]。長兄はイギリス王ジョージ1世、すぐ下の妹はプロイセン王妃ゾフィー・シャルロッテである。5人の男兄弟とともに職業軍人となり、うち兄弟3人が戦場で落命している。長兄以外の男兄弟と同じく生涯独身を通し、子供も持たなかった。
神聖ローマ皇帝軍に仕官し、最終的に元帥にまで登りつめた。1692年、一族の信仰する福音派からローマ・カトリックに改宗している。1701年に始まったスペイン継承戦争ではハノーファー選帝侯領の軍隊を率いて参戦し、1704年のブレンハイムの戦い(第2次ヘヒシュテットの戦い)には、オイゲン公の麾下で騎兵隊の司令官として参加した。
脚注
[編集]- ^ Darryl Lundy (19 January 2011). “Field Marshal Maximilian Wilhelm Hanover”. thePeerage.com. 2012年6月17日閲覧。