マクシム・バグダノビッチ
マクシム・バグダノビッチ Максім Багдановіч | |
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ペンネーム | «Максім Кніжнік», « マキシム・クニジュニック» |
誕生 |
1891年12月9日 ミンスク, ミンスク県, ロシア帝国 (現: ベラルーシ) |
死没 |
1917年5月25日 (25歳没) ヤルタ, タウリダ県, ロシア帝国 (現: ウクライナ) |
職業 | 詩人, 作家, 文芸学者, 翻訳家 |
活動期間 | 1907-1917 |
ジャンル | 韻文,詩 |
文学活動 | 印象主義, 象徴主義 |
影響を受けたもの
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ウィキポータル 文学 |
マクシム・バグダノビッチ(英語: Maksim Bahdanovich、ベラルーシ語: Максім Адамавіч Багдановіч、1891年11月27日(ユリウス暦 12月9日) – 1917年5月12日)は、ベラルーシの詩人、作家、文芸学者、翻訳家。
生涯
[編集]1891年 ミンスクに住む科学者の一家に生まれた。1892年フロドナに引越すことに伴って結核で母親が死亡。
1896年 父親のアダム・バグダノビッチと共にロシア帝国ニジニ・ノヴゴロド市に引越し、そこでベラルーシ語で詩を書き始めた。
1907年 デビュー小説「ミュジーカ」("Музыка")が「ナーシャ・ニーヴァ」("Наша Нiва")というベラルーシ語の週刊新聞で初めて公開された。
1908年 ヤロスラヴリに引っ越した。1911年にギムナジウムを卒業し、ヤロスラヴリ学院法学部に入学した。そこで影響力のあるベラルーシ人作家と知り合う。学校を通いながら新聞社で勤めていて、多数の作品がベラルーシにもロシアにも出版され続けていた。1914年初頭には初めての詩集「ヴャノック」("Вянок")がヴィリニュスで出版された。
1917年に結核の治療のためクリミアに転居したが、病状の悪化し同年5月12日にヤルタで亡くなった。
ベラルーシ文学における地位
[編集]哲学的な思想や社会を始め、様々なテーマの詩を書き、ベラルーシ文学にとって新しい詩形を取り入れ、近代ベラルーシ語・近代ベラルーシ文学の作成者として呼ばれている最も有名な詩人の一人である。
作詞だけではなく、翻訳家としても活躍していた。ポール・ヴェルレーヌ、ハインリヒ・ハイネ、アレクサンドル・プーシキン、オウィディウス、ホラティウスなどの詩をベラルーシ語に翻訳し、ヤンカ・クパーラ、イヴァン・フランコ、タラス・シェフチェンコの作品をロシア語に翻訳した。
作品リスト
[編集]「ヴャノック」 詩集. ヴィリニュス, 1913.
出典
[編集]Максім Багдановіч // Архівы Беларусі
Багдановіч Максім // Культуралогія: Энцыклапедычны даведнік / Уклад. Дубянецкі Э. — Мн.: БелЭн, 2003. ISBN 985-11-0277-6