コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

マグダレーナ・ミラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マグダレーナ・ミラ
Magdalena Mira
自画像
生誕 (1859-05-30) 1859年5月30日
サンティアゴ
死没

1930年10月14日(1930-10-14)(71歳没)

 
サンティアゴ
テンプレートを表示

マグダレーナ・ミラ(Magdalena Mira Mena、 1859年5月30日 - 1930年10月14日)は、チリの画家、彫刻家である[1][2]。南アメリカ地域における、初期の女性画家の重要な一人とされる[3]

略歴

[編集]

サンティアゴで裕福な家族に生まれた。父親はアマチュア画家で、1840年代の末からチリを訪れ、チリなど南米各地の上流階級の中で働いたフランスの画家、レイモン・モンヴォワザン(Raymond Monvoisin:1794-1870)から絵を学んだことがあった。妹のアウロラ・ミラ(Aurora Mira: 1863–1939)も画家になった。弟のペドロ(Pedro Nolasco de Mira Mena: 1860-before1911)は政治家になり、ピチレムの市長などを務めた。

父親から絵を学んだ後、サンティアゴの国立美術学校(Academia de Pintura)に入学し、1876年から校長を務めたイタリア生まれの画家、フアン・モーキや先輩の画家のフアン・フランシスコ・ゴンザレス(Juan Francisco González: 1853-1933)に学んだ。

妹のアウロラ・ミラとともに、1883年からチリの国民議会議事堂で開催される全国美術展に出展し、3つの作品が金メダルを受賞した[2]。1889年から1897年まで4度グループ展にに参加した[1]ペドロ・リラやフアン・フランシスコ・ゴンザレス、アルフレード・ヴァレンズエラ・プエルマ(Alfredo Valenzuela Puelma)といった当時のチリを代表する画家と競い合ったが、40歳になるころに展覧会への出展を止め、アマチュア画家に戻った。

1905年からヨーロッパを旅し、ローマに住むようになり、3年間そこに住んだ[4]。サンティアゴで没した[5]

主に人物画を描いた。

作品

[編集]

参考文献

[編集]
  1. ^ a b Biblioteca del Museo Nacional de Bellas Artes, ed. (s/f). «Magdalena Mira (1859-1930)» (ASPX). Consultado el 14 de marzo de 2013.
  2. ^ a b Martínez Díez, Noemí, y Marián López F. Cao (2000). Pintando el mundo: diccionario de artistas latinoamericanas y españolas. Horas y Horas. p. 366. ISBN 978-84-8771-583-9.
  3. ^ Mira Fernández, María Teresa (2004). Las hermanas pintoras:
  4. ^ Cousiño Talavera, Luis (1922). Museo de Bellas Artes. Catálogo general de las obras de Pintura, Escultura, Etc. Santiago de Chile: Imprenta y Litografía Universo. p. 92.
  5. ^ Magdalena Mira” (Spanish). Museo Nacional Bellas Artes. 19 September 2017閲覧。