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マツダ (電球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

マツダ: Mazda)は、白熱電球などに用いられた商標である[1][2]。米国のゼネラル・エレクトリック・カンパニー: General Electric Company)が所有し、提携企業にも使用を許可していた[1][2]

1917年の雑誌広告

ゼネラル・エレクトリック・カンパニーは、フィラメントにタングステンを用いた高性能な白熱電球を発売するにあたり、新たな商標を用いることを検討した[3]。1909年9月14日に同社取締役のフレデリック・ペリー・フィッシ(英: Frederick Perry Fish[注 1]が、古代ペルシアの文献[注 2]から引用した「Mazda」を提案し、これが採用された[3][5]。製品への使用は同年12月21日から始められ、米国での商標登録出願は同年12月29日、登録は1910年5月3日だった[1][3][8]

タングステンを用いた白熱電球の生産には、ゼネラル・エレクトリック・カンパニーの特許と技術が不可欠となっていたが、同社は積極的に技術供与と商標使用許諾に応じたことから、欧州や日本で「Mazda」を名乗る白熱電球が登場した[1][2]。米国では、白熱電球のカルテルに絡む独占禁止法訴訟の影響から、1949年に「Mazda」の使用は中止されたが、米国外の提携企業には、21世紀になっても使用が続けられた例がある[3][5]

ゼネラル・エレクトリック・カンパニーによる商標登録の更新は、1990年に行われたのが最後である[8]

英国

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英国では、ブリティッシュ・トムソン=ヒューストン・カンパニー・リミテッド(英: British Thomson-Houston Company Limited)の事業を継承したゼネラル・エレクトリック・カンパニー: General Electric Company[注 3]が、2000年まで製品に「Mazda」の商標を使用した[3][5][10]

フランス

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フランスでは、ラ・コンパニ・デ・ラーンプス(仏: La Compagnie des lampes)の事業を継承したコーニンクレッカ・フィリップス・ナームローゼ・ヴェノオトシャップ: Koninklijke Philips Naamloze Vennootschap)が、2011年まで製品に「Mazda」の商標を使用した[11]

日本

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マツダランプの看板

日本では、株式会社東芝[注 4]の前身の一つである東京電気株式会社が、1913年(大正2年)から「マツダ」の商標を利用し始め、1962年(昭和37年)まで続いた[13][14][15]。1957年(昭和32年)には『東芝のマツダランプの歌[注 5]』が作られた[16]

自動車メーカーのマツダや旧社名にマツダの名称を使用していた札幌バルナバハムとの関連はない。

関連項目

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外部リンク

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脚註

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註釈

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  1. ^ 中央大学企業研究所の谷口明丈は、Frederick Perry Fishをフレデリック・ペリー・フィッシと邦訳している[4]
  2. ^ フレデリック・ペリー・フィッシは、ササン朝ペルシアで栄えたゾロアスター教における光の神アウラ・マツダ: Ahura Mazda)の名を紹介した[3][5][6][7]
  3. ^ 英国のゼネラル・エレクトリック・カンパニーは、米国のゼネラル・エレクトリック・カンパニーとは別法人で成り立ちも異なる[9]
  4. ^ 1939年(昭和14年)に東京電気株式会社と株式会社芝浦製作所が合併し、東京芝浦電気株式会社が発足した[12]。1984年(昭和59年)には、株式会社東芝に商号変更が行われた[12]
  5. ^ 『東芝のマツダランプの歌』は、公募に寄せられた89.452篇から選ばれた神奈川県茅ヶ崎市の原田スズヨの詩を西条八十が補い、米山正夫が曲をつけ、歌唱は藤山一郎荒井恵子が担った[16]

出典

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  1. ^ a b c d UNITED STATES v. GENERAL 82 F.Supp. 753 (1949) supp7531667” (英語). Leagle.com. Leagle, Inc. (1949年4月4日). 2023年7月24日閲覧。
  2. ^ a b c 菊池慶彦「タングステン電球の普及と東京電気の製品戦略」『経営史学』第48巻第2号、経営史学会、東京、2013年、27-52頁、doi:10.5029/bhsj.48.2_27ISSN 0386-9113全国書誌番号:00006266 
  3. ^ a b c d e f Edward J. Covington (2022年7月24日). “Frederick Perry Fish” (英語). People. Museum of Electric Lamp Technology. James D. Hooker. 2023年7月24日閲覧。
  4. ^ 谷口明丈「ゼネラル・エレクトリック社の経営者群像:1892-1913」『商学論纂』第57巻、中央大学商学研究会、八王子、2015年9月15日、171-281頁、ISSN 0286-7702NAID 120006639259全国書誌番号:000112692023年7月24日閲覧 
  5. ^ a b c d "His Only Rival"” (英語). Lighting A Revolution. National Museum of American History. Smithsonian Institution. 2023年7月24日閲覧。
  6. ^ 国産電気メーカーの誕生(田中久重・藤岡市助)”. 公文書にみる発明のチカラ. 国立公文書館. 2023年7月20日閲覧。
  7. ^ 高橋文雄,高橋潤一「光のア・ラ・カルト」『電気設備学会誌』第31巻第1号、一般社団法人電気設備学会、東京、2011年、46-47頁、doi:10.14936/ieiej.31.46ISSN 0910-0350全国書誌番号:00041356 
  8. ^ a b MAZDA Trademark - Registration Number 0077779 - Serial Number 71046773” (英語). Justia Trademarks. Timothy Stanley Copyright Agent c/o Justia Inc.. 2023年7月24日閲覧。
  9. ^ Julian Birkinshaw (2004年3月1日). “The destruction of Marconi” (英語). Think at London Business School. London Business School. 2023年7月24日閲覧。
  10. ^ "National Mazda"” (英語). Lighting A Revolution. National Museum of American History. Smithsonian Institution. 2023年7月24日閲覧。
  11. ^ MAZDA” (フランス語). Les fabricants de luminaires. PHOZAGORA. 2023年7月24日閲覧。
  12. ^ a b 沿革”. 会社概要. 株式会社東芝. 2023年7月24日閲覧。
  13. ^ 近代あかりの歴史と共に 東芝照明事業から130年の歩み”. 沿革・歴史. 企業情報. 東芝ライテック株式会社. 2023年7月24日閲覧。
  14. ^ 日本のエジソンの発明人生 - 藤岡市助ものがたり”. ヒストリー. 東芝未来科学館. 株式会社東芝. 2023年7月24日閲覧。
  15. ^ 暮らしとともに発展してきた、ランプの華麗な進化の樹”. 快適ランプ村. 東芝ライテック株式会社 (2001年2月1日). 2001年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月24日閲覧。
  16. ^ a b 「東芝のマツダランプの歌」『アサヒグラフ』第1721号、株式会社朝日新聞社、東京、1957年8月11日、全国書誌番号:00000992