マリア・アマリア・フォン・ザクセン
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マリーア・アマリア・デ・サホニア María Amalia de Sajonia | |
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スペイン王妃 | |
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在位 | 1759年8月10日 - 1760年9月27日 |
全名 | Maria Amalia Christina von Sachsen |
出生 |
1724年11月24日 神聖ローマ帝国 ザクセン選帝侯領、ドレスデン |
死去 |
1760年9月27日(35歳没) スペイン帝国、マドリード |
埋葬 | スペイン帝国、エル・エスコリアル修道院 |
結婚 | 1738年 ナポリ王国、ポルテッラ |
配偶者 | スペイン王カルロス3世 |
子女 | 本文参照 |
家名 | ヴェッティン家(アルベルティン家) |
父親 | ザクセン選帝侯兼ポーランド王アウグスト3世 |
母親 | マリア・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ |
宗教 | ローマ・カトリック |
マリア・アマーリア・フォン・ザクセン(Maria Amalia Christina von Sachsen, 1724年11月24日 - 1760年9月27日)は、スペイン王カルロス3世の王妃。ヴェッティン家の出身。スペイン語名はマリーア・アマリア・デ・サホニア(María Amalia de Sajonia)、イタリア語名はマリーア・アマリア・ディ・サッソニア(Maria Amalia di Sassonia)。
生涯
[編集]ザクセン選帝侯兼ポーランド王アウグスト3世と神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世の長女マリア・ヨーゼファの娘としてドレスデンで生まれた。妹マリア・ヨーゼファはフランス王太子ルイ・フェルディナン妃。
1738年、当時ナポリ王およびシチリア王であったカルロス3世と結婚した。2人の間には13人の子が生まれ、7人が成人した。
- マリア・イサベル・アントニエタ(1740年 - 1742年、夭折)
- マリア・ホセファ・アントニエタ(1742年、夭折)
- マリア・イサベル・アナ(1743年 - 1749年、夭折)
- マリア・ホセファ・カルメラ(1744年 - 1801年)
- マリア・ルイサ(1745年 - 1792年) - 神聖ローマ皇帝レオポルト2世の皇后
- フェリペ(1747年 - 1777年) カラブリア公。病により継承辞退。
- カルロス4世(1748年 - 1819年)
- マリア・テレサ(1749年、夭折)
- フェルナンド(1751年 - 1825年) - シチリア王フェルディナント3世およびナポリ王フェルディナント4世
- ガブリエル(1752年 - 1788年) - ポルトガル王女マリアナ・ビクトリアと結婚。
- アナ・マリア(1754年 - 1755年、夭折)
- アントニオ・パスクアル(1755年 - 1817年) - スペイン王女マリア・アマリア(兄カルロス4世の娘)と結婚。
- フランシスコ・ハビエル(1757年 - 1771年、夭折)
マリア・アマリアは1760年に肺結核で死去した。