マリア・アンジャルス・カルドナ
マリア・アンジャルス・カルドナ | |
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生誕 |
Maria Àngels Cardona i Florit 1940年 スペイン、バレアレス諸島県ファラリアス(メノルカ島) |
死没 |
1991年12月24日 スペイン、カタルーニャ州バルセロナ県バルセロナ |
国籍 | スペイン |
出身校 | バルセロナ大学 |
職業 | 生物学者・生態学者・植物学者 |
マリア・アンジャルス・カルドナ・イ・フロリト(カタルーニャ語: Maria Àngels Cardona, 1940年 - 1991年)は、スペイン・バレアレス諸島メノルカ島のファラリアス出身の生物学者・生態学者・植物学者。主にバルセロナで活動した[1]。
生涯
[編集]バレアレス諸島メノルカ島のファラリアスに生まれ、シウタデリャ・デ・メノルカで育った[1]。バルセロナ大学入学を機に本土のバルセロナに渡り、1963年に生物学の学位を取得した。1964年から1971年にかけて、バルセロナのコルセローラ山地周辺の様々な植物群の生活環に関する博士論文を書いた。
この論文でカルドナはカタルーニャ地方のジオボタニクスの新たな研究分野を開拓し、科学的アプローチ・方法論的アプローチに大きな変化をもたらした。1972年にはカタルーニャ統計局のピウス・フォント・イ・ケール賞を受賞した[1]。博士論文の執筆開始時からバルセロナ大学で教員として働き、1975年から1985年には植物学科で教壇に立った。1985年にはバルセロナ自治大学に移り、1986年から死去するまでは野菜生物学の教授職の地位にあった[1]。
カルドナは何人かの国際的な研究者と共同作業を行っており、特にマルセイユ大学の細胞遺伝学の権威であるJuliette Contandriopoulosと協同した。50以上の学術論文を発表しており、メノルカ百科事典の編纂にも携わった。国内および国際的な学会や委員会のメンバーでもあった[2]。晩年は健康状態に不安があり、1991年12月24日にバルセロナで死去した[1]。死因は脳卒中[1]。
会員
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f “Maria Àngels Cardona Florit”. Diccionari Biogràfic de Dones. 2 March 2017閲覧。
- ^ “Àngels Cardona i Florit”. カタルーニャ大百科事典. 2017年3月10日閲覧。
文献
[編集]- Marti Llufriu, J. Manel (1999). M. Àngels Cardona i Florit: La flora i el paisatge de Menorca. Maó: Institut Menorquí d'Estudis.
Cardonaは、植物の学名で命名者を示す場合にマリア・アンジャルス・カルドナを示すのに使われる。(命名者略記を閲覧する/IPNIでAuthor Detailsを検索する。)