マリア・クレセンティア・フォン・ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン
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マリア・クレセンティア・フォン・ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン Maria Kreszentia von Hohenzollern-Sigmaringen | |
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出生 |
1766年7月23日 ジグマリンゲン[1] |
死去 |
1844年5月5日(77歳没) ホルツェン城 |
配偶者 | フランツ・クサーヴァー・フィッシュラー |
子女 | エルンスト・フィッシュラー |
家名 | ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン家 |
父親 | ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン侯カール・フリードリヒ |
母親 | ベルク=スへーレンベルク女伯ヨハンナ |
マリア・クレセンティア・アンナ・ヨハンナ・フランツィスカ・フォン・ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン(Maria Kreszentia Anna Johanna Franziska Prinzessin von Hohenzollern-Sigmaringen, 1766年7月23日 - 1844年5月5日)は、ドイツの小諸侯ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン家の侯女。
生涯
[編集]ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン侯カール・フリードリヒとその妻のベルク=スへーレンベルク女伯ヨハンナの間の末娘。1769年、3歳でブーハウ女子修道院の聖堂参事会員の地位を得る。1807年、40歳の時にジグマリンゲン侯家に仕える宮内官・傅育官フランツ・クサーヴァー・フィッシュラー(1770年[2] - 1835年[3])と結婚[4]。1813年6月12日、兄アントン・アロイスとの間で相続協定を結び、ジグマリンゲン侯家が教会の世俗化に伴い入手した旧修道院領の1つホルツェン城及び付属荘園の所有権を譲られた[1]。
夫との間の一人息子エルンスト・フィッシュラー・フォン・トロイベルク伯爵(1810年 - 1867年)は、1843年ブラジル皇帝ペドロ1世の庶出の娘、ゴイアス公爵夫人イザベル・マリア・デ・アルカンタラ・ブラジレイラと結婚した。
脚注
[編集]- ^ a b Michel Huberty, Alain Giraud, L'Allemagne dynastique, Tome V Hohenzollern, Waldeck, p. 189
- ^ Michel Huberty, Alain Giraud, L'Allemagne dynastique, Tome VI Bade, Mecklembourg, 1990 p. 430
- ^ Michel Huberty, Alain Giraud, L'Allemagne dynastique, Tome VI Bade, Mecklembourg, 1990 p. 431
- ^ Maria Kreszentia, cr Frau von Holzen(1766-1844),Genealogy.euweb.Hohenzollern12.