マリオ・ベルメホ
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Mario Bermejo Castanedo | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スペイン | |||||
生年月日 | 1978年10月7日(46歳) | |||||
出身地 | サンタンデール | |||||
身長 | 178cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1995-1997 1995 1997-2000 1998-2002 1998-1999 2000 2000-2001 2001-2002 2002-2004 2004-2005 2005-2006 2006-2008 2007-2008 2008-2011 2011-2014 |
ラシン・サンタンデールB ラシン・サンタンデール ビルバオ・A ビルバオ → クルトゥラル・レオネサ (loan) → エイバル (loan) → ヒムナスティカ (loan) → ロスピタレート (loan) レクレアティーボ ラシン・フェロル アルバセテ アルメリア → ポリ・エヒド (loan) ヘレス セルタ |
? (?) 1 (0) 61 (16) 1 (0) 36 (11) 15 (1) 31 (7) 33 (6) 39 (0) 39 (25) 32 (9) 33 (5) 35 (5) 101 (32) 81 (13) | ||||
代表歴 | ||||||
1995 1996 |
U-16 スペイン U-18 スペイン |
7 (2) 3 (1) | ||||
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マリオ・ベルメホ・カスタネード(Mario Bermejo Castanedo,1978年10月7日 - )は、スペイン・サンタンデール出身の元サッカー選手。ポジションはFW。
経歴
[編集]1996年にプリメーラ・ディビシオン(1部)のラシン・サンタンデールでデビューし、そのシーズンは1試合に出場した。1996-97シーズンはBチームで過ごし、父親がバスク人であったためにアスレティック・ビルバオに完全移籍した。1997-98シーズンのリーグ戦は1試合に出場し、UEFAカップのUCサンプドリア戦にも出場した。1998-99シーズンはセグンダ・ディビシオン(2部)のSDエイバルでプレーし、プロ初得点を決めた。その後3シーズンはセグンダ・ディビシオンB(3部)以下のリーグでプレーし、2002年、プリメーラ・ディビシオン昇格組のレクレアティーボ・ウェルバに完全移籍した。2002-03シーズンは28試合に出場したが、18位でセグンダ・ディビシオンに降格した。2003-04シーズンもチームに残ったが出場機会は減少し、結局レクレアティーボの2シーズンは無得点に終わった。
2004年に同じセグンダ・ディビシオンのラシン・フェロルに移籍すると、39試合25得点で得点王に輝いた。6-1で大勝したUDアルメリア戦では4得点し、その試合はセグンダ・ディビシオンでフェロルが記録した1試合最多得点記録を更新した。その後は1シーズンごとにチームを代え、UDアルメリアではプリメーラ・ディビシオン昇格を、ポリ・エヒドではセグンダ・ディビシオンB降格を経験した。
2008年にヘレスCDに移籍し、34試合に出場してチーム3位の12得点を決めてプリメーラ・ディビシオン昇格に貢献した。すでに30歳であったが、2年間の契約延長を果たし、2009-10シーズンは7シーズンぶりのプリメーラ・ディビシオン挑戦となった[1]。前半戦は3得点のみとクラブの不調に引きずられたが、2010年1月にネストル・ゴロシート新監督が就任するとベルメホの調子も向上し、21節からの出場9試合で6得点を挙げた。2010年5月1日のUDアルメリア戦では後半ロスタイムに得点し、最終節までプリメーラ・ディビシオン残留を争ったが[2]、1シーズンでのセグンダ・ディビシオン降格となった。2009-10シーズンは最終的にチームトップの12得点を挙げ、そのうちの7点(リーグ最多)をヘディングで奪った[3]。
タイトル
[編集]- ラシン・フェロル
- 2004-2005 セグンダ・ディビシオン得点王 (25得点)
- ヘレスCD
- 2008-2009 セグンダ・ディビシオン
脚注
[編集]- ^ “Bermejo”. BDFutbol 2010年12月2日閲覧。
- ^ footballista、ソルメディア、2010年4月7日号
- ^ “Rankings 2009-10”. Marca 2010年12月2日閲覧。