マリー・ド・モンフェラート
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マリー Marie de Montferrat | |
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エルサレム女王 | |
戴冠するマリーとジャン・ド・ブリエンヌ | |
在位 | 1205年 - 1212年 |
出生 |
1192年 |
死去 |
1212年 |
配偶者 | ジャン・ド・ブリエンヌ |
子女 | イザベル2世 |
家名 | アレラーミチ家 |
父親 | モンフェッラート侯コンラート1世 |
母親 | イザベル1世 |
マリー・ド・モンフェラート(Marie de Montferrat, 1192年 - 1212年)はエルサレム王国の女王(在位:1205年 - 1212年)。マリーはフランス語名で、イタリア語名はマリーア・ディ・モンフェッラート(Maria di Monferrato)またはマリーア・ディ・ジェルザレンメ(Maria di Gerusalemme)。
生涯
[編集]イタリアのモンフェッラート侯コンラート1世とエルサレム女王イザベル1世の長女。
父が1192年4月にティールで暗殺教団によって殺されると、母イザベルは身重の身で5月にシャンパーニュ伯アンリ2世と再婚した(ギヨーム・ド・ティールとイマード・アッディン・アル・イスファハニ、東西の歴史家が同じ記述を残す)。その後生まれたのがマリーであった。
1205年、母の死にともない13歳で即位。母の異父弟ベイルート卿ジャンが摂政をつとめた。
1210年9月14日、ジャン・ド・ブリエンヌとアクラで政略結婚。長女ヨランド(イザベルの名で知られる)を1212年に出産後、産褥熱でマリーは死亡した。ヨランドはただちに即位し、ジャンがヨランドの摂政となった。
マリーの直系の子孫は、1268年にコンラート3世が南イタリアで処刑されたことで絶えた。その後、マリーの異父妹アリス・ド・シャンパーニュの血統が、エルサレム王位を継いだ。