マリー・ルイーズ・ダスプルモン
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マリー・ルイーズ・ダスプルモン Marie Louise d'Aspremont | |
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称号 |
ロレーヌ公妃 マンスフェルト侯妃 |
出生 |
1651/2年 |
死去 |
1693年10月23日 |
配偶者 | ロレーヌ公シャルル4世 |
マンスフェルト侯ハインリヒ・フランツ・フォン・マンスフェルト | |
子女 |
マリア・アンナ マリア・エレオノーラ |
家名 | アスプルモン家 |
父親 | シャルル・ダスプルモン |
母親 | マリー・フランソワーズ・ド・マイイ |
マリー・ルイーズ・ダスプルモン(Marie Louise d'Aspremont, 1651/1652年[1] - 1693年10月23日)は、フランスの貴族女性。マリー・ルイーズ・ダプルモン(Marie-Louise d'Apremont)とも表記される[2]。
生涯
[編集]シャルル・ダスプルモン伯爵(1620年 - ?)とその妻マリー・フランソワーズ・ド・マイイ(? - 1702年)の間の娘。父方はロレーヌ地方の古参の貴族アスプルモン家のソルシー(Sorcy)及びロンビーズ(Rombise)、ナントゥイユ男爵領(baron de Nanteuil)を伝領していた分家。母方の祖母イザベル=クレール=ウジェニー・ド・クロイ=ソルルは、クロイ公エマニュエルの玄祖父の妹にあたる[3]。
1665年7月17日、ロレーヌ公シャルル4世と結婚。花嫁が14歳頃だったのに対し、夫の公爵は61歳の高齢だった。さらに公爵は、イザベル・ド・リュドルと一旦は婚約しながらこれを破棄し、マリー・ルイーズを3番目の妻に迎えたのだった。シャルル4世とは子をもうけないまま1675年に死別した。
1679年、マンスフェルト侯ハインリヒ・フランツ・フォン・マンスフェルトと再婚、間に2人の娘をもうけた[4]。
- マリア・アンナ(1680年 - 1724年) - 1699年ザルム=ホーホストラーテン伯ヴィルヘルム・フロレンティンと結婚
- ザルム=ザルム侯ニコラウス・レオポルト(1701年 - 1770年)→ ザルム=ザルム家
- マリア・エレオノーラ(1682年 - 1747年) - 1703年従兄カール・フランツ・フォン・マンスフェルトと結婚、夫がマンスフェルト侯位を相続
- ハインリヒ・フランツ2世(1712年 - 1780年) - マンスフェルト侯
- ヨーゼフ・ヴェンツェル(1735年 - 1780年) - マンスフェルト侯
- マリア・イザベラ(1750年 - 1794年) - 1771年コロレード=ヴァルトゼー侯フランツ・デ・パウラ・グンダカル1世と結婚 →コロレード=マンスフェルト家
- ハインリヒ・フランツ2世(1712年 - 1780年) - マンスフェルト侯
引用・脚注
[編集]- ^ http://genealogy.euweb.cz/lorraine/lorraine5.html#C4
- ^ 表記の揺れは、アプルモン=ラ=フォレに由来する家名が、アスプルモンとも表記されてきたために起きている。
- ^ http://genealogy.euweb.cz/croy/croy8.html#PS
- ^ https://www.genealogieonline.nl/genealogie-richard-remme/I3895.php