マリー=ドロテ・ド・アブスブール=ロレーヌ
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マリー=ドロテ・ド・アブスブール=ロレーヌ Marie-Dorothée de Habsbourg-Lorraine | |
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称号 | オルレアン公妃 |
出生 |
1867年6月14日 オーストリア=ハンガリー帝国 ハンガリー王国、アルチュートドヴォズ |
死去 |
1932年4月6日(64歳没) ハンガリー王国、アルチュートドヴォズ |
埋葬 | ハンガリー王国、ブダ城内納骨堂 |
配偶者 | オルレアン公ルイ・フィリップ・ロベール |
家名 | ハプスブルク=ロートリンゲン家 |
父親 | オーストリア大公ヨーゼフ・カール・フォン・エスターライヒ |
母親 | クロティルデ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ |
マリー=ドロテ・ド・アブスブール=ロレーヌ (フランス語: Marie-Dorothée Amélie de Habsbourg-Lorraine, ドイツ語: Maria Dorothea von Österreich, 1867年6月14日 - 1932年4月6日)は、フランス王ルイ・フィリップの曾孫オルレアン公フィリップの妻。
生涯
[編集]ハンガリー副王であったオーストリア大公ヨーゼフ・カール(ヨーゼフ・アントン大公の三男)とその妃クロティルデ(ブルガリア王フェルディナントの姉)の次女として、ハンガリーのアルチュートドヴォズ(Alcsútdoboz)で生まれた。
1896年、ウィーンでフィリップと結婚。2人の間に子はなかった。また、夫婦仲は良くなく、結婚から数年で同居を解消した。1914年に離婚が成立すると、マリー=ドロテはハンガリーへ移り住んだ。1932年に没後、ブダ城内の納骨堂に埋葬された。