マリ=フィリップ・クーパン・ド・ラ・クーペリー
表示
マリ=フィリップ・ クーパン・ド・ラ・クーペリー Marie-Philippe Coupin de la Couperie | |
---|---|
アンヌ=ルイ・ジロデ=トリオゾンによる肖像画 | |
生誕 |
1773年6月11日 フランス王国、セーヴル |
死没 |
1851年12月19日 フランス王国、パリ |
マリ=フィリップ・クーパン・ド・ラ・クーペリー(Marie-Philippe Coupin de la Couperie、1773年6月11日 - 1851年12月19日)[1]はフランスの画家である。
略歴
[編集]セーヴルで生まれた。弟に美術評論家になったピエール=アレクサンドル・クーパン(Pierre-Alexandre Coupin:1780–1841)がいる。1793年からのフランス革命戦争に参加した後、セーヴルの国立磁器工場で働いた。アンヌ=ルイ・ジロデ=トリオゾンに学び、画家のマリー=ヴィクトワール・ジャコット (1772–1855) の友人であった。1808年から1809年にナポレオンを題材にした磁器のデザインをした。1815年からラ・フレーシュの陸軍幼年学校で絵を教えた後、サン・シール陸軍士官学校でも教えた[1]。
絵のスタイルは中世とルネッサンスを理想化した19世紀初頭のフランスの歴史画のスタイル「トルバドゥール様式(style troubadour)」の画家であった。フランス皇后ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネが支援者になり、代表作の「フランチェスカ・ダ・リミニの悲恋(Les amours funestes de Françoise de Rimini)」をマルメゾン城に飾るために買い上げた。
作品
[編集]-
「フランチェスカ・ダ・リミニの悲恋」(1812)
-
肖像画のモデルの髪を直すラファエル(1824)
-
アンリ4世の墓を孫に見せるサリー公 (1819)
ポー城 -
母親の回復を祈るガブリエル・ダルジュソン
ルーブル美術館 -
夫ルイ・オルレアンを悼むヴァレンティーヌ・ド・ミラン (1822)
ブロワ城 -
バイロンの詩の人物メドラ
-
ゼウスとセレメー
脚注
[編集]- ^ a b Marie Philippe Coupin, dit COUPIN de LA COUPERIE Académie de Versailles