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マルクス・ファビウス・リキヌス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

マルクス・ファビウス・リキヌス
M. Fabius C.f. M.n. Licinus
出生 不明
死没 不明
出身階級 パトリキ
氏族 ファビウス氏族
官職 執政官(紀元前246年)
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マルクス・ファビウス・リキヌスラテン語: Marcus Fabius Licinus)、生没年不詳)は紀元前3世紀中期の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前246年執政官(コンスル)を務めた。

出自

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パトリキであるファビウス氏族の出身。父のプラエノーメン(第一名、個人名)はガイウス、祖父はマルクスである[1]。父のガイウスは紀元前273年の執政官ガイウス・ファビウス・ドルソ・リキヌスである。

経歴

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紀元前246年、ブテオは執政官に就任。第一次ポエニ戦争の19年目の年であり、同僚執政官はマニウス・オタキリウス・クラッスス[2]であった。両執政官は、シケリアカルタゴの将軍ハミルカルに対する作戦を実施した。しかし、この時期に大きな戦闘が行われたとの記録は無く、前年に続いて小競り合いが続き、さらには翌年も同様であった[3][4]

両執政官がシケリアに出征していたため、翌年の執政官選挙のためにティベリウス・コルンカニウスが独裁官に任命された。

脚注

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  1. ^ カピトリヌスのファスティ
  2. ^ Feller de Feller, Dizionario storico; ossia, Storia compendiata degli uomini memorabili per ingegno, dottrina, virtù, errori, delitti, dal principle of the fine mondo ai nostri giorni vol. 1, G. Tasso, 1830, pp. 491 and 608
  3. ^ ポリュビオス歴史』、I, 16
  4. ^ エウトロピウス『首都創建以来の略史』、II, 10

参考資料

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  • ポリュビオス歴史
  • エウトロピウス『首都創建以来の略史』
  • カピトリヌスのファスティ
  • Broughton, T. Robert S. (1951). The Magistrates of the Roman Republic . Volume I, 509 BC - 100 BC. I, number XV. New York: The American Philological Association
  • the Dictionary of Greek and Roman Biography and Mythology (in public domain ), of William Smith (1870),

関連項目

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公職
先代
ルキウス・カエキリウス・メテッルス II、
ヌメリウス・ファビウス・ブテオ
執政官
同僚:マニウス・オタキリウス・クラッスス II
紀元前247年
次代
マルクス・ファビウス・ブテオ
ガイウス・アティリウス・ブルブス I