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マルクス・フォスリウス・フラッキナトル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

マルクス・フォスリウス・フラッキナトル
M. Foslius C.f. M.n. Flaccinator
出生 不明
死没 不明
出身階級 パトリキ
氏族 フォスリウス氏族
官職

執政官(紀元前318年)

騎兵長官(紀元前314年、紀元前313年)
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マルクス・フォスリウス・フラッキナトルラテン語: Marcus Foslius Flaccinator、生没年不詳)は紀元前4世紀共和政ローマの政治家・軍人。紀元前318年執政官(コンスル)を務めた。

出自

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パトリキ(貴族)であるフォスリウス氏族の出身。氏族としては唯一の執政官である。父のプラエノーメン(第一名、個人名)はガイウス、祖父はマルクスである。祖父マルクスは紀元前433年執政武官マルクス・フォスリウス・フラッキナトルと思われる[1]

経歴

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紀元前318年、フラッキナトルは執政官に就任。同僚執政官はルキウス・プラウティウス・ウェンノであった[2]。この年、両執政官はアプリアのテアノ(現在のテアーノ)とカヌシオ(現在のカノーザ・ディ・プーリア)の領土で略奪を行い、両都市を降伏させることに成功している[2]

紀元前314年カプアの陰謀を調査するためにガイウス・マエニウス独裁官(ディクタトル)に任命された、マエニウスはフラッキナットルをマギステル・エクィトゥム(騎兵長官、この場合は副調査官)に指名した[3]。しかしながら、カプアの容疑者の調査が終わると、マニエニウスはローマ市民に対する調査を開始した。するとマエニウスとフラッキナットルは権力濫用と訴えられ、結果辞任することとなった。両者は裁判にかけられたが、見事に自身の無罪を勝ち取った。

紀元前313年、独裁官ガイウス・ポエテリウス・リボ・ウィソルスの騎兵長官に指名される。両者はボウィアヌム(現在のボヤーノ)を包囲していた前年の執政官から、軍を引き継いだ[4]

脚注

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  1. ^ Friedrich Münzer . Folius 3. // Paulys Realencyclopädie der classischen Altertumswissenschaft. - Bd. VI, 2. - Stuttgart, 1909. - Sp. 2828.
  2. ^ a b ティトゥス・リウィウスローマ建国史』、 IX, 20.
  3. ^ ティトゥス・リウィウスローマ建国史』、 X, 26.
  4. ^ ティトゥス・リウィウスローマ建国史』、 X, 28.

参考資料

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関連項目

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公職
先代
ルキウス・パピリウス・クルソル III
クィントゥス・アウリウス・ケッレタヌス II
執政官
同僚:ルキウス・プラウティウス・ウェンノ
紀元前318年
次代
クィントゥス・アエミリウス・バルブラ I
ガイウス・ユニウス・ブブルクス・ブルトゥス I