マルグリット・ド・フランドル (1272-1331)
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マルグリット・ド・フランドル Marguerite de Frandre | |
---|---|
出生 |
1272年 |
死去 |
1331年 |
配偶者 | アレグザンダー・オブ・スコットランド |
ゲルデルン伯レイナウト1世 | |
子女 |
ライナルト2世 マルガレーテ グイード フィリップ エリーザベト フィリッパ |
家名 | ダンピエール家 |
父親 | フランドル伯ギー・ド・ダンピエール |
母親 | イザベラ・フォン・ルクセンブルク |
マルグリット・ド・フランドル(フランス語:Marguerite de Frandre, 1272年 - 1331年)は、スコットランド王子アレグザンダーの妃、のちゲルデルン伯レイナウト1世の妃。
生涯
[編集]マルグリットはフランドル伯ギー・ド・ダンピエールとその2番目の妃イザベラ・フォン・ルクセンブルクの娘である。1281年、スコットランド王アレグザンダー2世は息子アレグザンダーとフランドル伯ギーの娘マルグリットとの結婚の交渉をギーと始めた[1]。マルグリットとアレグザンダーは1282年11月14日にスコットランドのロクスバラで結婚し[2]、翌日に祝宴が行われた[3]。しかしアレグザンダーは20歳の誕生日の1週間後の1284年1月28日に死去した[1]。
1286年7月3日、マルグリットはナミュールにおいてゲルデルン伯レイナウト1世と再婚した。2人の間には以下の子女が生まれた。
- ライナルト2世(1295年頃 - 1343年) - ゲルデルン伯
- マルガレーテ - クレーフェ伯ディートリヒ7世(9世)と結婚
- グイド(1315年以降没)
- フィリップ - 早世
- エリーザベト(1354年没) - ケルンの聖クララ女子修道院長
- フィリッパ(1352年没) - ケルンの聖クララ修道院の修道女
脚注
[編集]- ^ a b Barrow 1990, p. 122.
- ^ Fegley 2002, p. 105.
- ^ Duncan 2002, p. 169.
参考文献
[編集]- Barrow, G. W. S. (1990). A Kingdom in Crisis: Scotland and the Maid of Norway. 69. Edinburgh University Press
- Duncan, Archibald Alexander McBeth (2002). The Kingship of the Scots, 842-1292: Succession and Independence. Edinburgh University Press. ISBN 0748616268
- Fegley, Randall (2002). The Golden Spurs of Kortrijk: How the Knights of France Fell to the Foot Soldiers of Flanders in 1302. McFarland & Co.. ISBN 0786480548