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マルティン・デミチェリス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マルティン・デミチェリス
マンチェスター・シティでのデミチェリス (2016年)
名前
本名 マルティン・ガストン・デミチェリス
Martín Gastón Demichelis
愛称 ミーチョ
ラテン文字 Martín Demichelis
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1980-12-20) 1980年12月20日(43歳)
出身地 アルゼンチンの旗 フスティニアーノ・ポッセスペイン語版
身長 184cm
体重 80kg
選手情報
ポジション DF (CB)
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2003 アルゼンチンの旗 リーベル・プレート 51 (1)
2003-2010 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン 174 (13)
2004 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘンII 1 (0)
2011-2013 スペインの旗 マラガ 84 (7)
2013 スペインの旗 アトレティコ・マドリード 0 (0)
2013-2016 イングランドの旗 マンチェスター・シティ 78 (3)
2016-2017 スペインの旗 エスパニョール 2 (0)
2017 スペインの旗 マラガ 10 (0)
代表歴2
2005-2016 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 51 (2)
監督歴
2017-2018 スペインの旗 マラガ (コーチ)
2019-2021 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン U-19
2021-2022 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘンII
2022- アルゼンチンの旗 リーベル・プレート
1. 国内リーグ戦に限る。2017年2月3日現在。
2. 2016年10月11日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マルティン・ガストン・デミチェリスMartín Gastón Demichelis, 1980年12月20日 - )は、アルゼンチンコルドバ州出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。元アルゼンチン代表。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)、ミッドフィールダー(センターハーフ)。イタリア国籍も所持している[1]

経歴

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クラブ

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CAリーベル・プレート

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横浜マリノスなどで監督を務めたホルヘ・ソラーリに才能を見出され、レナト・セサリーニでプレーしている時に、ブエノスアイレスに本拠地を置くCAリーベル・プレートに引き抜かれた。1998年にトップチームデビューしたが、2001年までは自身の立ち位置を確立することができなかった。その後はラモン・ディアス監督指揮下のチームで見事なプレーを見せ、最終ラインの要として2度のリーグ優勝を果たした。

バイエルン・ミュンヘン

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2003年7月1日にドイツバイエルン・ミュンヘンに移籍した。バイエルンにとって初のアルゼンチン人選手の獲得であった。9月27日のFCハンザ・ロストック戦でデビューし、2003-04シーズンは負傷離脱したトルステン・フリンクスに代わってセンターハーフの位置で出場することが多かった。このシーズンは戦線離脱を繰り返し、満足な結果を残せなかったが、2004年夏に就任したフェリックス・マガト監督の下で先発メンバーに定着し、2004-05シーズン、2005-06シーズンの2冠達成の重要な役割を担った。2007-08シーズンには自身の起用法をめぐってオットマー・ヒッツフェルト監督と対立した。ヒッツフェルト監督はデミチェリスをセンターハーフとしてプレーさせたがったが、デミチェリスはセンターバックでのプレーを希望し、クラブから1試合の出場停止処分を言い渡された。2009年夏にルイ・ファン・ハール監督が就任すると、若手のホルガー・バトシュトゥバーが積極的に起用され、デミチェリスの出場機会は減少した。2009-10シーズンはリーグ戦とカップ戦の2冠に輝き、UEFAチャンピオンズリーグでは決勝に進出したが、リーグ戦では21試合しか出場できない不完全燃焼のシーズンとなった。2010-11シーズン開幕戦のVfLヴォルフスブルク戦では招集メンバー入りを拒否し、他クラブへの移籍を志願すると、ファン・ハール監督もそれを了承した。

マラガCF

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2010年12月30日、リーベル時代の恩師マヌエル・ペレグリーニ監督が率いるスペインマラガCFに移籍した。移籍後はCBのレギュラーとして起用され、守備を引き締めるとともにチームの反転攻勢に尽力。終盤戦には5連勝も記録し、最終的には11位に滑り込んだ。翌2011-12シーズンは精彩を欠くプレーを見せながらも引き続きCBのレギュラーとして出場していたが、ジェレミー・トゥラランの負傷後は守備的MFに回り高いパフォーマンスを発揮し、チームの4位フィニッシュ及び史上初となるUEFAチャンピオンズリーグの出場権獲得に貢献した。

アトレティコ・マドリード

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2013年7月11日、フリートランスファーでアトレティコ・マドリードに加入。契約は1年間[2]

マンチェスター・シティFC

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9月1日、アトレティコで公式戦出場がないまま恩師マヌエル・ペレグリーニ率いるマンチェスター・シティFCに移籍決定[3]。契約は2年間。2015-16シーズン終了後、契約満了に伴い退団した。

RCDエスパニョール

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2016年8月10日、RCDエスパニョールへ移籍することが発表された[4]。リーグ戦2試合出場のみと出場機会に恵まれず、2017年1月10日に契約解除された[5]

マラガCF

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2017年1月17日、マラガCFに加入した[6]。3年半ぶりの古巣マラガCF復帰となる。2017年5月15日、デミチェリス本人は愛着あるリーベル・プレートかマラガでキャリアを終えたい胸中を明かしたうえで、2016-17シーズン一杯での現役引退を発表した[7]

代表

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ホセ・ペケルマン監督によってアルゼンチン代表に招集され、2005年11月12日のイングランドとの親善試合でデビューした。クラブの地元ドイツで開催された2006 FIFAワールドカップのメンバーには選ばれていない。2007年9月11日、オーストラリア戦 (1-0) で代表初得点となる決勝点を決めた。2010 FIFAワールドカップに出場し、ギリシャ戦でアルゼンチン代表の同大会初得点を決めた[8]

2015年6月1日、コパ・アメリカ後に代表から引退することを表明したが[9]、その後も代表に呼ばれ続けていた。

指導者経歴

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現役を退くとそのまま当時マラガを率いていたミチェルのアシスタントコーチに就任した。2018年1月にミチェルは解任されたものの、デミチェリス自身は後任のホセ・ゴンザレス英語版のアシスタントコーチも果たした。

2019年6月27日、バイエルン・ミュンヘンU-19チームの監督に就任した[10]

2021年4月4日、FCバイエルン・ミュンヘンIIの監督に就任し、2021-22シーズンは国内リーグを2位で終えた。

2022年11月、古巣であるリーベル・プレートの監督就任が決定した[11]

個人成績

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クラブ

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[12][13]

クラブ シーズン リーグ カップ リーグカップ 国際大会 その他 合計
リーグ 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
リーベル・プレート 2001-02 プリメーラ・ディビシオン 17 0 7 1 24 1
2002-03 35 1 11 1 46 2
合計 52 1 18 2 70 3
バイエルン・ミュンヘンII 2003-04 レギオナルリーガ 1 0 1 0
バイエルン・ミュンヘン 2003-04 ブンデスリーガ 14 2 2 0 0 0 5 0 21 2
2004-05 23 0 5 0 2 0 5 0 35 0
2005-06 27 1 4 0 1 0 8 2 40 3
2006-07 26 3 2 0 1 0 6 0 35 3
2007-08 28 1 4 0 2 0 10 0 44 1
2008-09 29 4 3 0 8 0 40 4
2009-10 21 1 4 0 9 0 34 1
2010-11 6 1 1 0 2 0 1 0 10 1
合計 174 13 25 0 6 0 53 2 1 0 259 15
マラガ 2010-11 ラ・リーガ 18 1 1 0 19 1
2011-12 35 2 4 1 39 3
2012-13 31 4 3 0 11 1 45 5
合計 84 7 8 1 11 1 103 9
マンチェスター・シティ 2013-14 プレミアリーグ 27 2 2 0 2 0 4 0 35 2
2014-15 31 1 0 0 2 0 7 0 40 1
2015-16 20 0 2 0 5 0 4 1 31 1
合計 78 3 4 0 9 0 15 1 106 4
エスパニョール 2016-17 ラ・リーガ 2 0 0 0 2 0
マラガ 2016-17 ラ・リーガ 10 0 0 0 10 0
通算 401 24 37 1 15 0 97 6 1 0 551 31

代表での得点

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# 日時 場所 対戦相手 スコア 最終結果 大会
1 2007年9月11日 オーストラリアの旗 メルボルン オーストラリアの旗 オーストラリア 1-0 1-0 親善試合
2 2010年6月22日 南アフリカ共和国の旗 ポロクワネ ギリシャの旗 ギリシャ 1-0 2-0 2010 FIFAワールドカップ

タイトル

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クラブ

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リーベル・プレート
バイエルン・ミュンヘン
マンチェスター・シティ

脚注

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  1. ^ Martín Demichelis” (German). Transfermarkt.de. 2010年8月30日閲覧。
  2. ^ “デミチェリスのアトレティコ加入が決定”. Goal. (2013年7月11日). http://www.goal.com/jp/news/73/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3/2013/07/11/4110310/%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B3%E5%8A%A0%E5%85%A5%E3%81%8C%E6%B1%BA%E5%AE%9A?ICID=PP_2774 2013年7月12日閲覧。 
  3. ^ アトレティコ、DFデミチェリスを在籍わずか52日でマンCへ売却”. サッカーキング (2013年9月3日). 2023年10月23日閲覧。
  4. ^ エスパニョール、デミチェリスを1年契約で獲得”. ゲキサカ (2016年8月11日). 2023年10月23日閲覧。
  5. ^ エスパニョール、今季加入のデミチェリスと契約解消…リーガわずか2試合の出場で退団”. 超ワールドサッカー (2017年1月11日). 2023年10月23日閲覧。
  6. ^ 元マンCのデミチェリス、半年でエスパニョール退団で古巣マラガに加入”. フットボールチャンネル (2017年1月18日). 2023年10月23日閲覧。
  7. ^ “元アルゼンチン代表DFデミチェリスが現役引退を発表「もう足に力が入らない」”. Goal. (2017年5月16日). http://www.goal.com/jp/news/73/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3/2017/05/16/35543122/%E5%85%83%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%B3%E4%BB%A3%E8%A1%A8df%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%81%8C%E7%8F%BE%E5%BD%B9%E5%BC%95%E9%80%80%E3%82%92%E7%99%BA%E8%A1%A8%E3%82%82%E3%81%86%E8%B6%B3%E3%81%AB%E5%8A%9B%E3%81%8C%E5%85%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84?ICID=OP 2017年5月16日閲覧。 
  8. ^ Fletcher, Paul (2010年6月22日). “Greece 0–2 Argentina”. BBC Sport. http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/world_cup_2010/matches/match_36/default.stm 2010年6月30日閲覧。 
  9. ^ “デミチェリスが南米選手権後の代表引退を発表「何が起ころうとも」”. サッカーキング. (2015年6月2日). https://www.soccer-king.jp/news/world/world_other/20150602/318442.html 2015年6月3日閲覧。 
  10. ^ デミチェリスがバイエルンU-19監督に就任! クローゼはU-17監督を継続”. 超ワールドサッカー (2019年6月28日). 2023年10月23日閲覧。
  11. ^ デミチェリスのリーベル・プレート新指揮官就任が決定! バイエルンが退任を発表”. 超WORLDサッカー! (2022年11月15日). 2023年1月15日閲覧。
  12. ^ M. Demichelis”. Soccerway. 18 April 2016閲覧。
  13. ^ Martín Demichelis – Club matches”. WorldFootball.net. 3 September 2013閲覧。

外部リンク

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