マント=ラ=ヴィル
Mantes-la-Ville | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | イル・ド・フランス地域圏 |
県 (département) | イヴリーヌ県 |
郡 (arrondissement) | マント=ラ=ジョリー郡 |
小郡 (canton) | 小郡庁所在地 |
INSEEコード | 78362 |
郵便番号 | 78711 |
市長(任期) |
モニーク・ブロショ (2008年-2014年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté d'agglomération de Mantes-en-Yvelines |
人口動態 | |
人口 |
19 234人 (2010年) |
人口密度 | 3 174人/km2 |
住民の呼称 | Mantevillois |
地理 | |
座標 | 北緯48度58分30秒 東経1度42分42秒 / 北緯48.975度 東経1.71166666667度座標: 北緯48度58分30秒 東経1度42分42秒 / 北緯48.975度 東経1.71166666667度 |
標高 |
最低:17 m 最高:114 m |
面積 | 6.06km2 |
公式サイト | mairie-manteslaville.fr |
マント=ラ=ヴィル (Mantes-la-Ville)は、フランス、イル=ド=フランス地域圏、イヴリーヌ県のコミューン。
地理
[編集]パリの西52kmのところにある。人口およそ2万人の小さな町で、セーヌ川とその支流ヴォクルール川が合流する地点にあたる。
マント=ラ=ヴィルは都市化されているが、川沿いには公園があり、森に囲まれた丘陵や農地がある。まちは、鉄道のパリ-マント-ルーアン路線によってマント=ラ=ジョリーから分断されており、マント・スタシオン駅にこの路線の電車が停車する(マント=ラ=ジョリーから数百mしか離れていない)。また、コミューン内をA13が横切り、マント・シュドおよびマント・エストの2箇所のインターチェンジがある。公害を減らす目的で、高速道路の一部が覆われている。
歴史
[編集]マント(Mantes)とはラテン語のMedentaからきている。語源は「保護」の概念からきている。マントはセーヌ川の恵みを突出して受けていた。セーヌにほど近いマント=ラ=ヴィルには農地があり、そこでとれる作物から人は養われていた。2つのコミューンが常に互いに独立してきたことに留意しなければならない。
18世紀半ばにはMante-la-Villeの綴りが好まれて、19世紀には一般化した。しかし急速にsのついた現在の綴り、Mantes-la-Villeが現れた。
マント=ラ=ヴィルは、セルロース・フィルム製造に特化したセロハン工場のある土地だった。この工場は1926年にセーヌ川沿いに建設された。操業は実際には1929年より開始され、ナチスドイツ侵攻の1940年6月6日に操業を停止した。1944年の連合国側の空爆によって工場は甚大な被害を受けたものの、1976年まで工場は稼働していた。第二次石油ショックと、競合する資材の誕生で終わりを迎えたのである。1985年に生産は停止され、1986年に工場は完全に壊された。
経済
[編集]クラリネット製造のビュッフェ・クランポン、サクソフォーン製造のヘンリー・セルマー・パリの工場がある。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2007年 |
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10319 | 14632 | 16708 | 17360 | 19081 | 19231 | 18739 |
参照元:1962年までEHESS[1]、1968年以降はINSEE[2][3]