マーガレット・サラ・カーペンター
マーガレット・サラ・カーペンター Margaret Sarah Carpenter | |
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自画像 | |
生誕 |
1793年 ソールズベリー |
死没 |
1872年11月13日 ロンドン |
マーガレット・サラ・カーペンター(Margaret Sarah Carpenter、旧姓: Geddes、1793年 – 1872年11月13日)は、イギリスの画家である。肖像画を描いた。
略歴
[編集]マーガレット・サラ・ゲデスとしてイングランド南部のソールズベリーで軍人の娘に生まれた。ソールズベリーの美術教師に学び、ラドナー伯爵が所有するソールズベリーのロングフォード城に収蔵されている絵画を見て修行した。[1][2]
19歳になった1912年に、少年の肖像画を描いて、美術協会の展覧会で入賞し、翌年も作品が入賞し、1914年に金賞を受賞した[3] 。1914年にロンドンに移り、人気のある肖像画家になった[1]。1914年のロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの展覧会にフォークストン卿の肖像画を出展し、ロンドンの民間展覧会「ブリティッシュ・インスティテューション(British Institution)」に『占い師』という作品を出展した。1818年から1866年の間、ロイヤル・アカデミーの展覧会やブリティッシュ・インスティテューションに出展を続けた[2]。
1817年に大英博物館の版画および素描部門の学芸員(Keeper)のウィリアム・フックハム・カーペンター(1792–1866)と結婚した。子供のウィリアム・カーペンター(William Carpenter: 1818–1899) とパーシー・カーペンター(Percy Carpenter: 1820–1895)も画家になった[4]。姉のハリエット・ゲデスを画家のウィリアム・コリンズに紹介し、2人は1822年に結婚し、息子に推理小説『月長石』の作者、ウィルキー・コリンズらが生まれた[5]。
1872年にロンドンで没した。
マーガレット・サラ・カーペンターの描いた夫や画家のリチャード・パークス・ボニントン、彫刻家のジョン・ギブソンの肖像画などがロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーに収蔵されている[2] 。
作品
[編集]-
エイダ・ラブレス (1836)
Government Art Collection -
Selina Fitzwygram (1850)
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夫のウィリアム・フックハム・カーペンター
ナショナル・ポートレート・ギャラリー -
楽譜を持つ女性とギターを弾く女性
脚注
[編集]- ^ a b Brian Stewart & Mervyn Cutten (1997). The Dictionary of Portrait Painters in Britain up to 1920. Antique Collectors' Club. ISBN 1-85149-173-2
- ^ a b c Christopher Wood (1978). The Dictionary of Victorian Painters. Antique Collectors' Club. ISBN 0-902028-72-3
- ^ Smith, Richard J, Margaret Sarah Carpenter, A Brief Biography, Salisbury & South Wiltshire Museum, 1993
- ^ The Golden Temple at Amritsar, William Carpenter, Feb. 1854, Victoria and Albert Museum, ref IS.50–1882, accessed July 2010
- ^ HARRIET COLLINS (1790-1868) @WILKIE COLLINS'S FAMILY 2023年11月18日閲覧
参考文献
[編集]- The Art Journal, 1873 p. 6
- Bryan, Michael, Dictionary of Painters and Engravers, 1903
- Clayton, E. C., English Female Artist, Volume 1 p. 386, 1876
- Ormond, R., Early Victorian Portraits, HMSO, 2 vols, 1973
- Redgrave, Samuel, A Dictionary of Artists of the English School, 1878
- Shaw Sparrow, W., Women Painters of the World, pp. 60, 66, 96. 100, 1905