ミス・ユニバース1952
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ミス・ユニバース1952 | |
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ミス・ユニバース1952優勝者 アルミ・クーセラ | |
開催日 | 1952年6月28日 |
司会者 | ボブ・ラッセル |
会場 |
アメリカ合衆国 カリフォルニア州 ロングビーチ市立公会堂 |
参加 | 30[1] |
入賞 | 10 |
初参加 | |
優勝者 |
アルミ・クーセラ フィンランド |
好感度部門 |
ミリアム・リン ベルギー ヴァレリー・ジョンソン モンタナ州 |
次回 | 1953 |
ミス・ユニバース1952(Miss Universe 1952、第1回ミス・ユニバース世界大会)は1952年6月28日にアメリカ合衆国カリフォルニア州ロングビーチ市立公会堂で開催された。30か国の代表が栄冠を競い、17歳のフィンランド代表のアルミ・クーセラが最初の優勝者となり、女優のパイパー・ローリーから栄冠を授けられた。日本からは小島日女子が参加した。
最終結果
[編集]入賞者
[編集]最終結果 | 参加者 |
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ミス・ユニバース1952 | |
第2位 |
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第3位 |
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第4位 | |
第5位 | |
トップ10 |
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参加者
[編集]国/地域 | 代表 |
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アラスカ | シャーリー・バーネット |
オーストラリア | リア・マッカートニー |
ベルギー | ミリアム・リン (マリアンヌ・マレンダー) |
カナダ | ルース・キャリア |
チリ | マリア・エステル・サアベドラ・ヨアシャム |
キューバ | グラディス・ロペス |
デンマーク | ハンナ・ソレンセン |
フィンランド | アルミ・クーセラ |
フランス | クロード・ゴダール |
ドイツ | レナーテ・ホイ |
イギリス | アイリーン・P・チェイス |
ギリシア | デイジー・マフラキ |
ハワイ | エルザ・カナニオナプア・エズマン |
香港 | ジュディ・ダン |
インド | インドラニ・ラーマン |
イスラエル | オラ・ベレド |
イタリア | ジョバンナ・マゾッティ |
日本 | 小島日女子 |
メキシコ | オルガ・ロレンス・ペレス=カスティーリョ |
ノルウェー | エヴァ・ロイネ |
パナマ | エルジビル・ギセラ・マレク |
ペルー | アダ・ガブリエラ・ブエノ |
フィリピン | テレシタ・トラルバ・サンチェス |
プエルトリコ | マリリア・レヴィ・ベルナル |
スウェーデン | アン・マリー・シスラー |
トルコ | ゲレンギュル・タイフォログル |
南アフリカ | キャサリン・エドウィナ・ヒギンス |
アメリカ | ジャクリーン(ジャッキー)・ローリー |
ウルグアイ | グラディス・ルビオ・ファハルド |
ベネズエラ | ソフィア・シルヴァ・インサリ |
ノート
[編集]交代者
[編集]- ウルグアイ - ロサ・アデラ・"ネネラ"・プルネルはグラディス・ルビオ・ファハルドに交代した。
特別賞
[編集]- モンタナ州 - ミス・フレンドシップ(ヴァレリー・ジョンソン)
参考文献一覧
[編集]- “Miss Universe 1952”. pageantopolis.com. February 7, 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月12日閲覧。
脚注
[編集]- ^ “Blonde from Finland named Miss Universe”. Ottawa Citizen. (June 30, 1952) 12 November 2018閲覧。