ミス・ワールド1951
ミス・ワールド1951 | |
---|---|
キキ・ホーカンソン | |
開催日 | 1951年7月29日 |
司会者 | エリック・モーリー(Eric Morley) |
会場 | ロンドンのリセウム・ボールルーム |
参加 | 26 |
入賞 | 5 |
初参加 | デンマーク、フランス、オランダ、スウェーデン、英国、米国 |
優勝者 |
キキ・ホーカンソン スウェーデン |
次回 | ミス・ワールド1952 |
ミス・ワールド1951(第1回ミス・ワールド決勝)は、1951年7月29日、ロンドンのリセウム・ボールルーム(現リセウム・シアター)で開催された。英国および国外(5か国5人)計26人が参加したが、うち10人については名前の記録が残っていない[1]。スウェーデンのキキ・ホーカンソンが優勝。
入賞者
[編集]最終結果 | 名前 |
---|---|
Miss World 1951 |
|
1st Runner-up |
|
2nd Runner-up |
|
3rd Runner-up |
|
4th Runner-up |
|
備考:オランダのSabine Aime di Angeloについて、氏名不詳とするソースもあるが、ここでは[1]に従う。
参加者
[編集]国 | 名前 |
---|---|
英国 | Pat Cameron |
英国 | Aileen P. Chase |
英国 | Fay Cotton |
英国 | Laura Ellison-Davies |
英国 | Doreen Dawne |
英国 | Marlene Ann Dee |
英国 | Brenda Mee |
英国 | Elayne Pryce |
英国 | Sidney Walker |
英国 | Nina Way |
英国 | Ann Rosemary West |
デンマーク | Lily Jacobson |
フランス | Jacqueline Lemoine |
オランダ | Sabine Aime di Angelo |
スウェーデン | キキ・ホーカンソン |
米国 | Annette Gibson |
その他
[編集]第1回のミス・ワールド決勝は、正確に言うとそのような名称ではない。
小規模な仕出しとレジャー産業のグループ・Meccaの広報・販売部長であるエリック・モーリー(Eric Morley)は、ある日取締役に呼ばれ、来るべきFestival of Britainに[2]お色気と華やかさを添えたいと言われた[3]。モーリーは、1946年フランス人エンジニアLouis Réardによって発明された[4]ビキニのミスコンを提案した。名付けてFestival Bikini Contest[5][6]。
モーリーは1949年、BBCに”Come Dancing”を提案し[3]、ビンゴ・ホールの経営者として [7]ビンゴの普及に尽力した人物としても知られる。
キキ・ホーカンソンが1000ポンドの賞金をもらい、イベントは成功裏に幕を閉じた。タブロイドは[8]好奇心たっぷりに「ミス・ワールド」の名でこのイベントを報じた[7]。翌年、米国でミス・ユニバースが始まった。モーリーはミス・ワールドを毎年のイベントしようとメッカを説得した[3]。モーリーはすぐに、ミス・ワールドという商標を登録した[4]。
こうして正式に発足したミス・ワールドに関し、モーリーは次のように説明した。「ビキニを着れば少しくらいお尻が大きくとも(意訳)きれいに見える」。また、期待される参加者像についてこうも言っている「17歳から25歳。理想を言えば170cm, 50.8-57.2kg。ウエスト56-61、ヒップ89-91、超えていても足りなくてもいけない。愛らしいお顔、健康な歯並び、豊かな髪の毛、前も後ろも完ぺきな脚」[3]。
ただし、ビキニに対して異論がなかったわけではない。教皇ピウス12世はビキニを不道徳と宣言した[9]。スペイン、アイルランドその他、宗教的に保守的な国も代表を送らないと脅した[4]。1952年、ビキニの審査は行わないと公式に決定し、キキ・ホーカンソンは「ビキニを着て戴冠した唯一のミス・ワールド」と呼ばれることとなる[6]。また、ミスとしての任期475日は大会史上最長である[10]。
出典
[編集]- ^ a b “Miss World 1951 - Kerstin "Kiki" Hakansson - SWEDEN”. missworld.com. 2013年4月11日閲覧。
- ^ Susan Dewey (2008) (英語). Making Miss India Miss World. Syracuse University Press. p. 46. ISBN 0-8156-3176-6
- ^ a b c d Rob Baker (15 November 2015). Beautiful Idiots and Brilliant Lunatics: A Sideways Look at Twentieth-Century London (電子書籍) (英語). Amberley Publishing Limited. ISBN 9781445651200。
- ^ a b c Moses Opobo (2016年12月2日). “Akiwacu’s bikini controversy”. The New Times, Rwanda. 2019年5月23日閲覧。
- ^ Elissa Stein; Lee Meriwether (2006) (英語). Here She Comes... Beauty Queen. San Francisco: Chronicle Books. p. 45. ISBN 978-0-8118-4864-0
- ^ a b “Kiki Hakansson – Miss World 1951 Winner”. awardgoesto.com. 2019年5月22日閲覧。
- ^ a b “ミス・ワールドとは”. missworld.jp. 一般社団法人ミス・ワールド・ジャパン. 2018年9月1日閲覧。
- ^ Brooke Magnanti (2013年6月7日). “Miss World bikini ban: why it's no victory for feminists”. The Telegraph. Telegraph Media Group Limited. 2019年5月23日閲覧。
- ^ Stefania Leo. “Storia del costume da bagno: il caso di Kiki Håkansson”. deabyday. 2019年5月23日閲覧。
- ^ Derek Tait (2013-11-15) (英語). 1950s Childhood Spangles, Tiddlywinks and The Clitheroe Kid. Amberley Publishing Limited. pp. 74-78. ISBN 9781445635392