ミハイル・セミョーノヴィチ・ヴォロンツォフ
公 ミハイル・ヴォロンツォフ | |
---|---|
生誕 | 1782年5月30日 ロシア帝国、サンクトペテルブルク |
死没 | 1856年11月18日 ロシア帝国、オデッサ(現ウクライナ領) |
埋葬地 | |
所属組織 | ロシア帝国 |
部門 | ロシア帝国陸軍 |
軍歴 | 1803年 - 1856年 |
最終階級 | 陸軍元帥 |
戦闘 | |
受賞 | 聖アンドレイ勲章 聖ゲオルギー勲章 聖ウラジーミル勲章 聖アンナ勲章 |
配偶者 | エカチェリーナ・ブラニツカヤ |
ミハイル・セミョーノヴィチ・ヴォロンツォフ公(ロシア語: Михаи́л Семёнович Воронцо́в、1782年5月30日 - 1856年11月18日(グレゴリオ暦))は、ロシア帝国の貴族、陸軍元帥。ナポレオン戦争とコーカサス戦争でロシア軍を率いたことで知られる。
生涯
[編集]出生からナポレオン戦争終結まで
[編集]セミョーン・ヴォロンツォフ伯爵の息子、帝国宰相アレクサンドル・ロマーノヴィチ・ヴォロンツォフ伯爵の甥として、1782年5月30日にサンクトペテルブルクで生まれた。幼年期は父が駐在大使を務めるロンドンで過ごした[1][2]。1803年から1804年にかけてパヴレ・ツィツィシュヴィリとヴァシリ・グリアコヴィの部下としてカフカースに駐留、1804年1月にはグリアコヴィのジャリ戦役で間一髪で死を逃れた[2](グリアコヴィ自身は戦死)。1805年から1807年までナポレオン戦争に参戦、プウトゥスクの戦いとフリートラントの戦いを戦った[2]。1809年から1811年まで露土戦争を戦った後、1812年ロシア戦役でピョートル・バグラチオンの部下として戦い、ボロジノの戦いで重傷を負ったが翌1813年に回復した[2]。1814年にはクラオンヌの戦いでナポレオン・ボナパルトと戦い、1815年から1818年までフランス占領軍の指揮官を務めた[2]。
ノヴォロシアとカフカースにて
[編集]1823年5月7日、ノヴォロシア総督に任命された[2]。以降20年ほど務めたが、その間にノヴォロシアは大きな発展を遂げ、彼は「オデッサの創造者」と呼ばれた[2]。1828年に黒海ではじめて蒸気船を航行させ、同年の露土戦争では負傷したアレクサンドル・セルゲーエヴィチ・メーンシコフに代わってヴァルナ包囲戦を指揮した[2]。続く1829年の戦役ではオスマン帝国で疫病が発生したが、ヴォロンツォフの努力で疫病がロシアに蔓延しないで済んだ[2]。
1844年、カフカース総督に任命された[2]。カフカース・イマーム国のシャミールとの戦役、特にチェチェン東部の森を越える戦役での功績によりクニャージ(公)に叙され、1848年にはダゲスタンの3分の2を占領することに成功した[2]。1853年初に病気により引退、1856年に陸軍元帥に叙された後、同年にオデッサで死去した[2]。ヴォロンツォフの彫像はオデッサとトビリシで建てられた[2]。
脚注
[編集]- ^ Keegan, John. Wheatcroft, Andrew. Who's Who in Military History: From 1453 to the Present Day Routledge, 12 May 2014 ISBN 978-1136414169
- ^ a b c d e f g h i j k l m Bain, Robert Nisbet (1911). . In Chisholm, Hugh (ed.). Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 28 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 213.
関連図書
[編集]- Blanch, Lesley (1960) (英語). The Sabres of Paradise. London: John Murray. ISBN 9781850434030
- Gammer, Moshe. Muslim Resistance to the Tsar: Shamil and the Conquest of Chechnia and Daghestan. Frank Cass & Co., London, 1994. ISBN 0-7146-3431-X.
- Rhinelander, Anthony L. H. (1990) (英語). Prince Michael Vorontsov: Viceroy to the Tsar. Montreal, Quebec; Kingston, ON: McGill-Queen's University Press. ISBN 0-7735-0747-7
- Robbins, Richard G.; Rhinelander, Anthony L. H. (October 1991). “Review: Prince Michael Vorontsov: Viceroy to the Tsar” (英語). The American Historical Review (The American Historical Review, Vol. 96, No. 4) 96 (4): 1243–1244. doi:10.2307/2165141. JSTOR 2165141 .
- “Prince Woronzoff”. Gentleman's Magazine. 202. Edw. Cave. (1857). p. 107
外部リンク
[編集]- Online museum of the Vorontsov Family
- Mikeshin, Mikhail. "Mikhail Vorontsov: A Metaphysical Portrait in the Landscape".
官職 | ||
---|---|---|
先代 イヴァン・インゾフ 暫定総督として |
ノヴォロシア総督 1823年5月19日 - 1844年11月5日 |
次代 フリードリヒ・フォン・デア・パーレン |
先代 アレクサンドル・ナイドガルト |
カフカース総督 1844年 - 1854年 |
次代 ニコライ・レアト 暫定総督として |