ミヒール・コクシー
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ミヒール・コクシー Michiel Coxcie | |
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Simon Frisiusによる肖像版画(1610) | |
生誕 |
1499年3月5日 メヘレン |
死没 |
1592年3月10日 メヘレン |
ミヒール・コクシー(Michiel Coxcie、1499年3月5日 - 1592年3月10日)はフランドルの画家である。「フランドルのラファエル」との異名で呼ばれることのある画家である。
略歴
[編集]メヘレンで生まれた。ブリュッセルでベルナールト・ファン・オルレイの弟子になった。その後ハールレムやイタリアに移り、1530年から1539年頃はローマに滞在し、フレスコ画の技術を学び、1532年頃、ローマのサンタ・マリア・デッラニマ教会の礼拝所の壁画を描いた。
イタリアで高い評価を得て、ローマで人気のあった版画家アゴスティーノ・ヴェネツィアーノ(Agostino Veneziano)の版画の原画も描いた。
メヘレンに戻り、1539年にメヘレンのサンルカ組合に入会し、その少し後にブリュッセルに移った。1541年にベルナールト・ファン・オルレイが亡くなった後、フェリペ2世の叔母で、ネーデルラント17州の総督を務めたマリア・フォン・エスターライヒの宮廷画家の仕事を継いだ。バンシュの宮殿の装飾画などを描き、美術品コレクターとして知られるフェリペ2世の命で「ヘントの祭壇画」の模写を制作するなどの仕事をした。
1563年頃、メヘレンに戻り、1585年にアントワープに移り、90歳を越えるまで仕事を続け、故郷で亡くなった。
1539年頃、ローマで最初の結婚をし、この結婚からは画家になったラファエル・コクシー(Raphael Coxie: c.1540–1616)が生まれた。1569年に最初の妻が亡くなった後、再婚し3人の子供が生まれた。
作品
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聖セバスチャンの殉教
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アベルの殺害
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聖なる親族
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フーベルト・ファン・エイクの作品の模写
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ソロモンの裁き
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洞窟の比喩
参考文献
[編集]- Wilhelm Adolf Schmidt: Coxcyen, Michael van. In: Allgemeine Deutsche Biographie (ADB). Band 4, Duncker & Humblot, Leipzig 1876, S. 537–539.
- Michel Coxcie, pictor regis (1499–1592): Internationaal Colloquium, Mechelen, 5 en 6 juni 1992 / referaten bezorgd door Raphaël de Smedt. - Mechelen, 1993. - 287 S.: zahlr. Ill.; (niederländisch, französisch, englisch; Handelingen van de Koninklijke Kring voor Oudheidkunde, Letteren en Kunst van Mechelen; 96. boekdeel, 2. aflevering).
- Tammen, Hanke E.: Michiel Coxcie. Studien zur flämischen Malerei im Zeitalter der Konfessionalisierung (Dissertation), Niedersächsische Staats- und Universitätsbibliothek, Göttingen 2020.