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ミントー伯爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミントー伯爵
Earl of Minto

紋章記述

Arms: Quarterly:1st & 4th, counterquartered, I & IV, Argent a Hunting Horn Sable, stringed Gules, in the dexter chief point a Crescent Gules, on a Chief wavy Azure, three Mullets Argent (Murray of Melgund); II & III, Azure, a Chevron Argent, between three Fleurs-de-lis Or (Kynynmound of that Ilk); 2nd & 3rd, Gules, on a Bend engrailed Or, a Baton Azure, within a Bordure Vair (Elliot of Minto); overall a Chief Argent, charged with a Moor’s Head couped in profile proper (augmentation, being the arms of Corsica). Crest: A dexter Arm embowed, issuant from Clouds, throwing a Dart, all proper. Supporters: Dexter: An Indian Sheep proper; Sinister: A Fawn proper.

創設時期1813年2月24日
創設者摂政ジョージ(国王ジョージ3世名代)
貴族連合王国貴族
初代ギルバート・エリオット=マーレイ=キニンマウンド
現所有者ティモシー・エリオット=マーレイ=キニンマウンド英語版(7代伯)
相続人メルガンド子爵ギルバート・エリオット=マーレイ=キニンマウンド
相続資格初代伯爵の直系嫡出の男系男子
付随称号メルガンド子爵
ミントー男爵
(ヘッドショーの)準男爵

ミントー伯爵英語: Earl of Minto)は、イギリス伯爵位。連合王国貴族爵位。

ベンガル総督(インド総督)を務めた初代ミントー男爵ギルバート・エリオット=マーレイ=キニンマウンド1813年に叙されたのに始まる。

歴史

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前身のエリオット準男爵位は、1700年4月19日ギルバート・エリオット(1650頃–1718)が叙されたのに始まる[1]

その曾孫である第4代準男爵サー・ギルバート・エリオット庶民院議員の活動を経て1797年10月20日グレートブリテン貴族カウンティ・オヴ・ロクスバラにおけるミントーのミントー男爵」(Baron Minto, of Minto in the County of Roxburgh)に叙せられた[2][3]。その後1806年のグレンヴィル内閣でインド庁長官として入閣し、これがきっかけで1807年7月からベンガル総督(インド総督)に就任した[4]ナポレオン戦争の中でオランダ植民地ジャワへ侵攻した総督として知られる[5]。退任後の1813年2月24日に連合王国貴族カウンティ・オヴ・フォーファーにおけるメルガンドのメルガンド子爵」(Viscount Melgund, of Melgund in the County of Forfar)および連合王国貴族「カウンティ・オヴ・ロクスバラにおけるミントーのミントー伯爵」(Earl of Minto, of Minto in the County of Roxburgh)に叙される[6][3]。また彼は母の姓を加えて「エリオット=マーレイ=キニンマウンド」と改姓している[3]

その息子である第2代ミントー伯爵ギルバート(1782–1859)もホイッグ党政権下で海軍大臣(在職1835年-1841年)や王璽尚書(在職1846年-1852年)を歴任した[7]

その孫である第4代ミントー伯爵ギルバート・ジョン(1845–1914)カナダ総督(在職1898年-1904年)やインド総督(在職1905年-1910年)を務めた[8]

現在の当主はその曾孫である第7代ミントー伯ギルバート・ティモシー・ジョージ・ローリストン英語版(1953-)である[9]

現当主の保有爵位 / 準男爵位

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現当主である第7代ミントー伯爵ティモシー・エリオット=マーレイ=キニンマウンド英語版は以下の爵位を有する[10]。ただし、準男爵位に関してはその継承が証明されていないため推定である[10]

  • 第7代ミントー伯爵(7th Earl of Minto)
    (1813年2月24日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第7代カウンティ・オヴ・フォーファーにおけるメルガンドのメルガンド子爵(7th Viscount Melgund, of Melgund in the County of Forfar)
    (1813年2月24日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第7代カウンティ・オヴ・ロクスバラにおけるミントーのミントー男爵(7th Baron Minto, of Minto in the County of Roxburgh)
    (1797年10月20日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • 第10代(ヘッドショーの)準男爵(de jure 10th Baronet, of Headshaw)
    (1700年4月19日の勅許状によるノヴァスコシア準男爵位)

ミントーのエリオット準男爵 (1700年)

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ミントー男爵 (1797年)

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ミントー伯爵 (1813年)

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参考文献

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  • 浜渦哲雄『大英帝国インド総督列伝 イギリスはいかにインドを統治したか』中央公論新社、1999年(平成11年)。ISBN 978-4120029370 

出典

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  1. ^ Jackson, Clare. "Elliot, Sir Gilbert, first baronet, Lord Minto (1650/51–1718)". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/8658 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  2. ^ "No. 14052". The London Gazette (英語). 7 October 1797. p. 968. 2013年11月23日閲覧
  3. ^ a b c Lundy, Darryl. “Gilbert Elliot-Murray-Kynynmound, 1st Earl of Minto” (英語). thepeerage.com. 2015年6月13日閲覧。
  4. ^ 浜渦哲雄 1999, p. 76.
  5. ^ 浜渦哲雄 1999, p. 78.
  6. ^ "No. 16700". The London Gazette (英語). 2 February 1813. p. 251. 2013年11月23日閲覧
  7. ^ Lundy, Darryl. “Gilbert Elliot-Murray-Kynynmound, 2nd Earl of Minto” (英語). thepeerage.com. 2015年6月13日閲覧。
  8. ^ 浜渦哲雄 1999, p. 160-162.
  9. ^ Lundy, Darryl. “Gilbert Timothy George Lariston Elliot-Murray-Kynynmound, 7th Earl of Minto1” (英語). thepeerage.com. 2015年6月13日閲覧。
  10. ^ a b Minto, Earl of (UK, 1813)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年8月2日閲覧。