ムハンマド・アル=バドル
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ムハンマド・アル=バドル محمد البدر | |
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イエメン国王 | |
北イエメン内戦期のアル=バドル(中央) | |
在位 | 1962年9月19日 - 1970年 |
全名 |
المنصور محمد البدر بن أحمد アル=マンスール・ムハンマド・アル=バドル・ビン・アフマド |
出生 |
1926年2月15日 イエメン、ハッジャ |
死去 |
1996年8月6日(70歳没) イギリス、ロンドン |
子女 | アギッル・ビンモハメッド・アルバドル アブドラ・ビンモハメッド・アルバドル アルアッバス・ビン・ムハンマド・アルバドル |
王朝 | ラシード朝 |
父親 | アフマド・ビン=ヤフヤ・ハミードゥッディーン |
宗教 | イスラム教シーア派 |
アル=マンスール・ムハンマド・アル=バドル・ビン・アフマド(アラビア語: المنصور محمد البدر بن أحمد, ラテン文字転写: Al-Mansur Muhammad Al-Badr bin Ahmad)は、イエメン王国第3代(最後の)国王。
生涯
[編集]1962年9月19日、前王であった父アフマド・ビン=ヤフヤが没したため即位した。しかし国内、特に軍部の掌握に失敗し、同年9月26日に発生した陸軍のクーデターによりイエメン・アラブ共和国が成立し、国王の座を追われる。クーデターには、エジプトの支援があったとされている。国を脱出した後、サウジアラビアの後ろ盾を得て亡命政権を樹立した。イエメンは、1960年代を通じて国王派と共和国派に分かれた内戦状態(北イエメン内戦)となった。
1970年には、エジプトが第三次中東戦争を契機に軍事支援を中断、イエメンから撤退した。反エジプトで結束していた国王派の多くが目的を失い、幹部の多くが共和国派に取り込まれる形で離脱し、国王派の亡命政権が瓦解した。支えを失ったムハンマド・アル=バドルはイギリスへと亡命、1990年のイエメン共和国発足時にもキャスティング・ボートは握れず、イエメン王国復興を果たせぬまま1996年に死去した。
関連項目
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