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ムハンマド・イヤズ=ウル=ハク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ムハンマド・イヤズ=ウル=ハク
محمد اعجاز الحق
パキスタン・ムスリム連盟ジア派英語版党首
就任
2010年2月
前任者設立
宗教問題・宗教間調和省英語版大臣
任期
2004年1月11日 – 2007年11月26日
大統領パルヴェーズ・ムシャラフ
首相ショーカット・アジーズ
後任者ハーミド・サイード・カズミ英語版
マイノリティ省英語版大臣
任期
2004年1月11日 – 2007年11月26日
大統領パルヴェーズ・ムシャラフ
首相ショーカット・アジーズ
後任者シャーバズ・バッティ英語版
パキスタン在外パキスタン人・人材育成省英語版大臣
任期
1997年 – 1999年
大統領グラーム・イスハーク・ハーン
首相ナワーズ・シャリーフ
国民議会議員
就任
2024年2月29日
選挙区NA-163 Bahawalnagar-IV
任期
2013年6月1日 – 2018年5月31日
選挙区NA-191 (Bahawalnagar-IV)
任期
2002年11月18日 – 2007年11月18日
選挙区NA-191 (Bahawalnagar-IV)
任期
1990年11月3年 – 1999年10月12日
選挙区NA-39 Rawalpindi-IV
個人情報
生誕 (1952-02-20) 1952年2月20日(72歳)
パキスタンの旗 パキスタン 北西辺境州 ペシャーワル
国籍パキスタン
政党パキスタン・ムスリム連盟ジア派英語版 (2002–present)
協力政党パキスタン・ムスリム連盟カーイデ・アーザム派 (2002–2008)
パキスタン・ムスリム連盟ナワーズ・シャリーフ派 (1993–2002)
パキスタン民主連盟 (1988–1993)
ムハンマド・ジア=ウル=ハク
シャフィーク・ジア英語版
出身校南イリノイ大学

ムハンマド・イヤズ=ウル=ハク (ウルドゥー語: محمد اعجاز الحق‎、1952年2月20日 - ) は、パキスタンの政治家。パキスタン・ムスリム連盟ジア派英語版党首。ムハンマド・ジア=ウル=ハクの息子にあたる。

第2次ナワーズ・シャリーフ内閣(1997年 - 1999年)下ではパキスタン在外パキスタン人・人材育成省英語版大臣を[1]パルヴェーズ・ムシャラフ内閣(2004年 - 2007年)では宗教問題・宗教間調和省英語版大臣、マイノリティ省英語版大臣を務めた。

南イリノイ大学カーボンデール校卒業後、銀行家として働いた後、1988年に政界入りした。しかし、同年父であるムハンマド・ジア=ウル=ハクが事故死(ムハンマド・ジア=ウル=ハクの死)、ジアの独裁政権は終わりを告げる。

その後、1990年11月から1999年、2002年11月から2007年11月、2013年6月から2018年5月まで国民議会議員を務めた。

生い立ち

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1952年2月20日ペシャワールで生まれる。父親はムハンマド・ジア=ウル=ハクジャランダル生まれ)、母親はシャフィーク・ジア英語版(ウガンダ生まれ)[2][3][4][5][6]

その後、アメリカ合衆国南イリノイ大学カーボンデール校に留学。経営学を学んだ[7]。その後、バーレーンにあるバンク・オブ・アメリカ支店で銀行員として、1990年までの10年間働いた。

政界において

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父ジア=ウル=ハクが事故死(ムハンマド・ジア=ウル=ハクの死)した1988年、イヤズは政界入りした[7]

イヤズは、1990年パキスタン総選挙英語版で、選挙区「NA-39 Rawalpindi-IV」および「NA-72 Toba Tek Singh-II」から、イスラミ・ジャムホーリ・イッテハド英語版(IJI)所属議員として初当選、パキスタン民主連盟(PDA)候補を破った[8]。尚、2012年に最高裁判所英語版は、1990年総選挙で選挙操作が行われたと宣言している[9]

イヤズはその後1993年パキスタン総選挙英語版ではパキスタン・ムスリム連盟ナワーズ・シャリーフ派議所属議員として選挙区「NA-54 Rawalpindi-IV」でパキスタン人民党(PPP)候補を破り、再選した[10]

しかし、翌年1994年に同党所属議員らと共にヤイル・ラーワルピンディー収容所英語版に収監される[11]

出所後、1997年パキスタン総選挙英語版パキスタン・ムスリム連盟ナワーズ・シャリーフ派議所属議員として出馬。選挙区「NA-54 Rawalpindi-IV」でPPP候補を破り勝利した[10]。選挙後、パキスタン在外パキスタン人・人材育成省英語版大臣に任命され、第2次ナワズ・シャリフ内閣(1997年 - 1999年)から、1999年パキスタンクーデター英語版でシャリフ政権が打倒されるまで務めた[3]

その後ナワーズ・シャリーフと対立。独立し、パキスタン・ムスリム連盟ジア派英語版を結成した[3]

2002年パキスタン総選挙英語版にも出馬。選挙区「NA-191 Bahawalnagar-IV」にパキスタン・ムスリム連盟ジア派英語版所属議員として出馬し、PPP候補を破り、3年ぶりに黒海入りとなった[3]

パキスタン・ムスリム連盟ジア派英語版パキスタン・ムスリム連盟カーイデ・アーザム派連立政権を結成。パルヴェーズ・ムシャラフ内閣下で宗教問題・宗教間調和省英語版大臣に任命される[12][13][3]

2008年パキスタン総選挙英語版にもパキスタン・ムスリム連盟カーイデ・アーザム派支援議員として出馬。しかし、選挙区「NA-191 Bahawalnagar-IV」で敗北する[3]。敗北により、イヤズは2008年、パキスタン・ムスリム連盟カーイデ・アーザム派との協力関係を打ち切る[3][14][10]

2012年、イヤズはパキスタン・ムスリム連盟ナワーズ・シャリーフ派に加入し[13]、選挙区「NA-191 Bahawalnagar-IV」で勝負を行うと報じられた[12]。しかし、結局2013年の総選挙になっても、イヤズはナワーズ・シャリーフ派に加盟しなかった。ただ、協力関係は結んだ[3]

2013年パキスタン総選挙英語版にも、2挙区に出馬。選挙区「NA-190 Bahawalnagar-III」ではナワーズ・シャリーフ派に敗北、選挙区「NA-191 Bahahwalnagar-IV」では勝利し、再び国民議会入りする[15][16][17]

2018年パキスタン総選挙英語版に出馬。選挙区「NA-163 Bahawalnagar-IV」で、ナワーズ・シャリーフ派の候補ヌールル・ハサン・タンヴィル英語版と戦い、イヤズは72,461票を得たものの、結果敗れた[18]

2023年3月19日、イヤズはイムラン・カーン元首相およびパキスタン正義運動(PTI)議長と会談した。それに対して、パキスタン・ムスリム連盟ジア派英語版をPTIに合併するのでは、そして、次の総選挙でイヤズはPTI所属議員として争うのではという噂が流れた[19][20]。2023年5月29日、イヤズはPTIとジア派が合併するといった噂をすべて否定している[21][22]

執筆活動

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イヤズは『Daily Jang英語版』や『Dunya News英語版』といったウルドゥー語の出版物に積極的に寄稿を行っている[23][24]

関連資料

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脚注

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出典

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  1. ^ Optimizer, Seo (2018年7月15日). “Ijaz-ul-Haq” (英語). ARY NEWS. 2024年7月16日閲覧。
  2. ^ Detail Information” (26 April 2014). 26 April 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。11 July 2017閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h “Zia's son Ijaz-ul-Haq decides to join hands with Nawaz” (英語). DAWN.COM. (23 October 2012). オリジナルの4 March 2017時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170304194132/https://www.dawn.com/news/758876 4 March 2017閲覧。 
  4. ^ “Gen Beg responsible for Bahawalpur crash: Ijaz - Pakistan | Dunya News”. dunyanews.tv. オリジナルの12 September 2017時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170912135112/http://dunyanews.tv/en/Pakistan/139667-Gen-Beg-responsible-for-Bahawalpur-crash-Ijaz 4 March 2017閲覧。 
  5. ^ “If elections are held on time…” (英語). thenews.com.pk. https://www.thenews.com.pk/archive/print/404658 4 December 2017閲覧。 
  6. ^ Parveen Shaukat Ali (1997). Politics of conviction: the life and times of Muhammad Zia-ul-Haq. The London Centre for Pakistan Studies. ISBN 978-1-901899-03-0. https://books.google.com/books?id=4v8vAQAAIAAJ. "Zia-ul-Haq became engaged to his cousin (the daughter of his mother's sister), who was eight years younger than he was. Begum Shafiq Zia-ul-Haq was born in 1932 in Uganda, where her father lived. According to the traditional religious custom, it was an arranged marriage and was solemnized on 10 August 1950, in Model Town, Lahore. Shafiq's father had been staying there on a leave of absence from his job in Uganda, so that he could marry his two daughters in his own country." 
  7. ^ a b Times, Barbara Crossette, Special to the New York (9 August 1990). “Son of Former Military Ruler Goes into Politics in Pakistan”. The New York Times. オリジナルの4 March 2017時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170304193342/http://www.nytimes.com/1990/08/09/world/son-of-former-military-ruler-goes-into-politics-in-pakistan.html 4 March 2017閲覧。 
  8. ^ “Analysis: Soldier of misfortune by Khaled Ahmed”. thefridaytimes.com. オリジナルの20 March 2012時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120320004218/http://www.thefridaytimes.com/beta2/tft/article.php?issue=20120316&page=2 4 March 2017閲覧。 
  9. ^ “Six Pakistani PMs, two presidents won the rigged 1990 polls” (英語). thenews.com.pk. (9 November 2012). オリジナルの24 August 2017時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170824005805/https://www.thenews.com.pk/archive/print/395157-six-pakistani-pms-two-presidents-won-the-rigged-1990-polls 4 March 2017閲覧。 
  10. ^ a b c “Battle for NA-54 seat sharpens” (英語). DAWN.COM. (26 December 2007). オリジナルの5 March 2017時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170305034906/https://www.dawn.com/news/281720 4 March 2017閲覧。 
  11. ^ “Decades of famous faces at Adiala”. The Nation. (24 July 2018). https://nation.com.pk/24-Jul-2018/decades-of-famous-faces-at-adiala 9 August 2018閲覧。 
  12. ^ a b “Ijaz may get PML-N ticket for NA-191” (英語). DAWN.COM. (30 September 2012). オリジナルの4 March 2017時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170304193823/https://www.dawn.com/news/753129/ijaz-may-get-pml-n-ticket-for-na-191 4 March 2017閲覧。 
  13. ^ a b “Pre-election politicking: Ijazul Haq to join PML-N - The Express Tribune”. The Express Tribune. (23 October 2012). オリジナルの4 March 2017時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170304194936/https://tribune.com.pk/story/455743/pre-election-politicking-ijazul-haq-to-join-pml-n/ 4 March 2017閲覧。 
  14. ^ “Is the pot calling the kettle black?” (英語). thenews.com.pk. オリジナルの4 March 2017時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170304193810/https://www.thenews.com.pk/archive/print/165031-Super-Moon-witnessed-in-country 4 March 2017閲覧。 
  15. ^ “Musharraf will leave country soon: Ijaz” (英語). DAWN.COM. (16 May 2013). オリジナルの4 March 2017時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170304194307/https://www.dawn.com/news/1011603 4 March 2017閲覧。 
  16. ^ “Musharraf to leave country, says Ijazul Haq” (英語). thenews.com.pk. オリジナルの4 March 2017時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170304194115/https://www.thenews.com.pk/archive/print/430503-musharraf-to-leave-country-says-ijazul-haq 4 March 2017閲覧。 
  17. ^ “Ejaz wins NA-191” (英語). DAWN.COM. (13 May 2013). オリジナルの4 March 2017時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170304193956/https://www.dawn.com/news/1011048/ejaz-wins-na-191 4 March 2017閲覧。 
  18. ^ “NA 169 Bahawalnagar 4” (英語). www.geo.tv. (22 May 2013). https://www.geo.tv/election/NA-169 
  19. ^ Ziaul Haq's son Ijazul Haq joins PTI” (英語). Dunya News. 2023年3月19日閲覧。
  20. ^ Dawn.com (2023年3月19日). “PML-Z’s Ijazul Haq joins PTI after party merger” (英語). DAWN.COM. 2023年3月19日閲覧。
  21. ^ Ijazul Haq denies PML-Z merger with PTI” (英語). The Nation (2023年5月29日). 2023年5月31日閲覧。
  22. ^ Rumours of PML-Z’s merger with PTI baseless: Ijaz-ul-Haq” (英語) (2023年5月28日). 2023年5月31日閲覧。
  23. ^ Profile”. Daily Jang. 2024年7月16日閲覧。
  24. ^ Profile”. Dunya News. 2024年7月16日閲覧。