ムバーラク・シャー (サイイド朝)
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ムバーラク・シャー | |
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サイイド朝第2代君主 | |
コトラ・ムバーラクプルにあるムバーラク・シャーの墓廟 | |
在位 | 1421年 - 1434年 |
死去 |
1434年 |
王朝 | サイイド朝 |
父親 | ヒズル・ハーン |
ムバーラク・シャー(? - 1434年)は、インド北部を支配したサイイド朝の第2代君主(在位:1421年 - 1434年)。
生涯
[編集]初代君主であるヒズル・ハーンの子。1421年の父の死で即位した[1]。父と同じく勢力拡大を目指して強攻策を採る。父は前王朝のトゥグルク朝の貨幣をそのまま使用していたが、ムバーラクは1429年に独自の貨幣を鋳造した。さらに父が服属していた宗主国・ティムール朝からの独立を宣言する。これがシャー・ルフの怒りを買って討伐を受けるが、これを撃退して独立を明確化した。
しかしこれは逆にティムール朝の後援を得ることができなくなったことも意味していた。これにより、逆に王朝内での権力闘争を勃発させる。もともとデリー一帯を支配するしかないほど君主権が脆かったムバーラクではこの権力闘争を抑えきれず、1434年に宰相のサルヴァル・アルムルクに殺されてしまった[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- フランシス・ロビンソン 著、月森左知 訳『ムガル皇帝歴代誌 インド、イラン、中央アジアのイスラーム諸王国の興亡(1206年 - 1925年)』創元社、2009年。
関連項目
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