ムーサ・イブラヒム
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ムーサ・イブラーヒーム(アラビア語: موسى إبراهيم, 英語: Moussa Ibrahim 1974年12月7日 - )は、リビアの人物。2010年4月1日よりカッザーフィー政権の情報相を務め、2011年リビア内戦の際には連日のようにカッザーフィー政権側の報道官として登場した[1][2][3][4][5]。
経歴
[編集]1974年にカッザーフィーと同じカッザーファ部族の出身。ドイツ生まれの妻と息子が1人いる。2000年代初めにエクセター大学で政治学を学んだ。その後ロイヤル・ホロウェイでメディアアートを学んだ。
リビア内戦の報道
[編集]2011年4月5日、カッザーフィーはリビア統一の象徴であり退陣についての一切の協議を拒否するという声明を発表した[6]。
5月1日にはNATO軍による空爆でカッザーフィーの息子1人と孫3人が亡くなったことを発表、カッザーフィーを標的とした攻撃が行われたと強く非難した[7][8]。
8月23日に首都トリポリは反政府勢力の支配下に置かれ陥落、カッザーフィー政権も崩壊した。その後もイブラヒムは逃亡を続けたが、2012年10月20日にトリポリ近郊で身柄を拘束されたことが明らかにされた[9]。
人物
[編集]Sky Newsのインタビューに対して「自分は15年間ロンドンで過ごしておりロンドンのすべての通りを知り尽くしており、またイギリス人がどんな人々であるかも知っている。」と語った[10]。
脚注
[編集]- ^ “リビア首都、再び多国籍軍による空爆”. China Radio International (2011年3月21日). 2011年4月3日閲覧。
- ^ “多国籍軍、カダフィ氏の故郷を爆撃”. 東亜日報 (2011年3月23日). 2011年4月3日閲覧。
- ^ “リビア、反体制勢力が巻き返し NATOが全指揮権掌握”. AFP (2011年3月28日). 2011年4月3日閲覧。
- ^ “リビア 外相辞任に続く動きも”. NHK (2011年4月1日). 2011年4月3日閲覧。
- ^ “カダフィ政権が停戦拒否 リビア、民間人死亡と主張”. 共同通信 (2011年4月2日). 2011年4月3日閲覧。
- ^ “リビア政権「政治改革に向けた交渉の用意ある」、カダフィ大佐退陣は拒絶”. AFP (2011年4月6日). 2011年5月2日閲覧。
- ^ “カダフィ大佐の息子が空爆で死亡、孫3人も”. AFP (2011年5月1日). 2011年5月2日閲覧。
- ^ “カダフィ大佐の息子と3人の孫、NATOの空爆受け死亡”. 世界日報 (2011年5月2日). 2011年5月2日閲覧。
- ^ “カダフィ政権報道官を拘束 リビア、首都近郊で”. 産経新聞. (2012年10月21日) 2012年10月21日閲覧。
- ^ Lisa Holland (2011年3月22日). “Full Interview With Moussa Ibrahim”. スカイニュース. 2011年4月3日閲覧。